ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
我がブログも、ありがたくも読者数が150近くに届きつつあります。
実は、読者数が100を超えた時点で、自分が映画の感想(批評)&評論もどき(駄文)を書く際の心得を三つ記しておきたいとどこかで考えていたので、今回はそれをやっていたいと思います。
隠密同心 心得の条
我が命我が物と思わず。
部門の義、あくまで陰にて。
己の器量付し、御下命いかにしても果たすべし。
なお
生きて屍拾うものなし。
生きて屍拾うものなし!
あ、もちろん冗談です。そしてここからが本題です。
◆心得の条その一:公開当時のスタッフの発言を鵜呑みにするな。
もちろん、これは監督や出演者達が宣伝などで言った事柄についてだが、「当事者なのに何故?」とか思う前に、自分の体験したロング・キス・グッドナイトの諌めを話すと、アクション大作『ロング・キス・グッドナイト』公開時に夫婦だった監督のレニー・ハーリンと主演のジーナ・デイビスが仲睦まじくこの映画を宣伝しに日本にやって来たが、映画が公開して二人がアメリカに帰って行ったら、すぐに離婚した報を体験したから。つまりは、あの仲睦まじさは宣伝のためのうわべだけのアピールだった。
この映画はアメリカではヒットは望めないのは確定していたから、日本で少しでも回収しようと、そんな取繕った仲良さげな演技をしていたのを知って「公開当時の監督や出演者やスタッフの言葉は眉唾ものだ」と悟った。そして美術史・文学史でさえ解釈の違いや変節がある事を知って以来、関係者どころか、公開直後の直感で語っている他者の映画評さえ鵜呑みにしない性格が出来上がった。少なくとも、自分の感想は自分で語った方が、それが間違いでも感情としてあとくされはないからだ。
そんな性格から書いたのが『宇宙戦争 (2005)』のアレ。
◆心得の条その二:殺し文句は避けよ。
レビューを書く際に最も厄介なのはこれかもしれない。これをやると何だかまとめてしまった気分になるからだ。そして自分もたまにやってしまう。具体的には「傑作」だろうし、また「芸術的」、「哲学的」とかもだろう。
「傑作」とは突出して優れた。言う意味で考えているが、自分はこの定義に見合う作品のレヴューを読んでもその感想は批評者のこれまで観てきたものからの積み上げなので、標準が捉えにくいところがあるからだ。そして、ひねくれもの自分がこの文句を使うときには、「傑作!なんだけれども……」と、いったん持ち上げて、ちょいと落としたり、また逆に興奮でどうかしてしている場合に使ってしまうところがある。
「芸術的」も、美しいと意味で使われるが、その基準もルネッサンス以前かルネッサンス以後なのかそれとも現代アートとしての美しさなのかが、ピンとこないところがある。
「哲学的」もまた、難しい。とか、思索的らしい。とかで使われるが、これもアリストテレスの影響なのかデカルトの影響なのかそれともカントの影響なのかが、ピンとこない。
だから、そういった文句を使う場合、より具体的にしようと自分は書籍やネットを使って、作品を撮った脚本家、監督、カメラマンのキャリアを考えに入れて自分が感じたイメージに近いモノから選んでブログに書いている。
そんな感じで調べて書いたのが『ダンケルク』についてのコレ。
◆心得の条その三:モヤモヤとしたら調べろ。
作品を観終わった「ブラボー!」な気持ちと、「だみだこりゃ」な気分になることがある。そうゆうのはスラスラと書けるが、一番にやっかいなのは「普通」であり、さらにやっかいなのは「モヤモヤ」感が残る作品だ。どこをどうアプローチして書いて良いのか分からないからだ。
そうゆう気分になった時に自分がするのは作品の公式HPと映画情報HPIMDbを読むようにしている。IMDbは英語表記だが、最近は翻訳も向上しているので、必要最低限の読解力があれば読めるようになっているので大丈夫で、それを足掛かりにして、心得の条その二を使って調べる。そうしても納得だけしてしまって、心が動かないのが大体なのだが、たまには動くことがあるので、それを勢いで書いてしまうことがある。
そうして心が動いて書いたのは『スキャンダル (2019)』コレです。
以上、まとめるとこうなります。
映画ブロガー 心得の条
公開当時のスタッフの発言を鵜呑みにするな。
殺し文句は避けよ。
モヤモヤとしたら調べろ。
なお……(以下省略)
こんな感じでしょうか。
最後に冒頭の元ネタ『大江戸捜査網』のテーマ曲で終わります。