ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今回は現在劇場公開中の『TENET テネット』について語っています。物語の紹介省略、感想は簡略にして、基本は簡単なクリストファー・ノーラン論と、この作品の根幹である「時間の逆行」の部分についてのみ語っていますので、本作品を観ていない方には意味不明な内容になっていることを最初にお断りします。
自分のノーランとその作品作品群についての感想は『ダークナイト IMAX』の感想で語った通り「クリストファー・ノーランはクリエイターではなく、エンタテーナーだ」になる。
だから、よく「ノーラン作品は難解」という言葉と逆に彼の作品群に批判的な人々がいるのも分かる「難解」という言葉はその作品から発するテーマ・美意識・哲学と結びつかなければ「難解」の意味を成さないからだ。だからノーラン作品は難解ではなくて複雑なだけだ。ただ、その複雑さは、「観客を楽しませる」ことに傾けているし、結果としては上手く行っている。一歩間違えると『ミスター・ガラス(2019)』のM・ナイト・シャマランのような独りよがりになる可能性もあるのだが、IMAXなどへの興味もあってか、今のところそうはなってはいない。
さらに、余談として付け加えるとノーラン作品は楽しませる事のみに傾注した結果としてカットとカットを編集で繋いで観客の感情を誘導する目線の演出と印象を操作するモンタージュ技法を否定しているところがあるので、そこにイライラする批評家&古参の映画ファンが出てくるのも道理なのだ。これを映画がまだ見世物だった時代への古典回帰として見るか、ゲーム&ネット時代の新しさとして見るかが、ノーランに対する評価の分かれ目だ。(自分は保留中)
そして、本作は1960年から1970年代に盛んに作られたスパイアクションを今風に仕立て直し、かつ潤沢な予算を投じた作品で、やはり娯楽作に作りあがっている。その「複雑さが楽しい」つくりになっている。要するにいつものノーラン監督作品だ。
さて、これから本題に入る。本作では「エントロピーを減収させれば時間が逆行する」の設定を知って、自分が突っ込んだのは「インチキじゃねえか!」だ。
エントロピーとは閉じた系(宇宙)での熱力学と統計力学で数式で記述される乱雑さの量で、ことわざの「覆水盆に帰らず」の量を数字で表す。もちろん乱雑さなので、それが逆転することは絶対に無い。
そして、本作はその複雑さから難しいイメージを持たれるかも知れないが、実は日常でそれとよく似たモノを誰もが目にしている。
それはいったんおいて、今はそれを単純化して熱力学の視点として語ると奇々怪々なテネットの世界への理解が後々楽になるので、それでゆく。
まずは前述した、自分が突っ込んだインチキじゃねえか!を図1にすると↓になる。
注:「e」の文字は仮想としてのエネルギー空間。
そして、本作で触れられている「反粒子は時間を逆行する」と語られているとおり、実は物理学では一つ例外を除いて時間の逆行を数式として許している。その一つの例外がエントロピーなのだ。エントロピーだけが時間の逆行を許さない。だからエントロピーは時間を語る際にその存在と指標を示す「時間の矢」として認められている。
それを本作は「エントロピーが減収することで量が変化して結果として時間が逆行する」といったので、熱力学の基礎を無視していると思ったからだ。しかし、そうではなかった。後半に多元宇宙世界の会話があったので本作は単純な閉じた系では無いのだ。つまりは系が違う。
それを図2にしたのはこれ ↓
「e」の中にある「青色のe」は本作テネットで系(宇宙)だ。
つまり、テネットの世界を覆い包むように別の世界が存在する。
そして、それは当然のことながらこの二つの世界はエネルギーの量が違う。エネルギーの量が同じなら結果として図1と同じだからだ。
そして、この図2から何が起こるのかといえば、エネルギー量の差から「青色のe」と中で包んでいる「e」が接触する境界面に微妙な揺らぎが生じるのだ。
つまりエントロピーの減収も境界面でのこの微妙な揺らぎでなら起こる。
そして、時間の逆行はその部分でしか起こらない。
これが図3↓
ただ、二つのエネルギー量の差が、「青色のe」の境界面に揺らぎを生じさせるが、それはあくまでも境界面だけであって、「青色のe」すべてを揺るがすわけではない。
本作がタイムトラベルではなく、時間の逆行を主張しているのはそうゆう理由なのだ。
このモデルは複雑系で語られる散逸構造とよばれるものだ。ベルギーの化学・物理学者のイリヤ・プリコジンが提唱したモデルで、それは外界からのエネルギーの授受が可能な開放系で、外界からエネルギーを取り込んで別の形で放出することで系全体の安定を保っている。その過程を散逸過程といい、それを大きな視点で見たら散逸構造となる。イリヤ・プリコジンはこれでノーベル化学賞を受賞している。
さて、前述した「日常でよく似たモノ」の話をすると、それは味噌汁だ。
味噌汁を入れた椀を飲まずにそのままにしておくと、味噌汁がぬるくなってゆき、ぬるま湯と味噌の沈殿物との二つに分かれてゆく。
そして、その味噌の沈殿物をよーく見てみると沈殿物の表面は単純に固まっているのではなく微妙に動いている。これが微妙な揺らぎであり散逸構造であり、つまりは本作の時間の逆行の正体だ。
さて、ぬるま湯と味噌の沈殿物とに分かれた椀に、そーと箸を突っ込んで味噌の沈殿物をそーと突くとそこだけ乱れる。これが本作の悪役セイターがやろうとしたことだ。
もちろん、突いて乱れても、しばらくすれば元の味噌の沈殿物に戻る。しかし、表面上の微妙な乱れまでは再現できない。これが本作の黒幕が画策した陰謀だ。
この境界の微妙さが本作の中心にあるキモのアイディアなのだ。
どうして、自分がこれを確信しているのかというと、ある人物がしていた回想がいつの間にクライマックスで現れて、その人自身がその回想を再現するからだ。一見パラドックスが起こっている感じだが、これは時間の散逸構造による揺らぎだと解釈できるからでもある。大きく結果が変わらない、かつ微小なら過去と現在が乱れても構わない。これがテネットの世界だ。
もちろん、これだけですべて説明することはできない。「どうしてイメージをしたらそんな動きをするの?」とか、「あの人達はどうやってやって来たの?」とかは、これでは説明できない。だが、大抵のことはこれで納得はできる。
つまり味噌汁こそが ”TENET”
劇場で鑑賞。