ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
やる気があるのかないのか。
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして、キーワードは。
ウェルズの黒歴史!
今回はネタバレ無しのおちゃらけモード
私事からはじまるが、最近は配信を中心にしょーもないモノクロ映画を観続けている。特にアマプラの『宇宙のデッドライン』、『宇宙からのキャットウーマン』、『吸血怪獣ヒルゴンの猛襲』、『驚異の透明人間』とか、あとついでにベルイマン『魔術師』伊丹万作『赤西蠣太』等など、本作もその一環になる。これを撮った監督件主演のオーソン・ウェルズ自身が本作を自由に撮らせて貰えなかった意味で忘れたい作品、いわゆる黒歴史として語っていたからだ。
それはさぞかしイビツで変な出来上がりなのだろうと想像してみたら、面白い!
でも、ウェルズの作品でないのも確かなのだ。つまり「らしく」ないのだ。
それは一旦置いて、オーソン・ウェルズといえば映画史に残る人物であり、そして映画ファンが思い出すのは、やはり監督作『市民ケーン』であり、主演作の『第三の男』なのだろうし、SF映画ファンならラジオドラマ『宇宙戦争』での騒動(実際はかなり誇張されている)のエピソードを思い出すのだろうが、自分がウェルズで真っ先に思い出すのは『家出のドリッピー』なのだ。
『家出のドリッピー』とは、暗記を主にした英語教材で、子供の頃雑誌や新聞などに盛んに広告をしていたから、自分の中では、ウェルズ=家出のドリッピーの式が成り立っているくらいに。ちなみに作家シドニー・シェルダンの名を知ったのもこれからだ。
とまあ、遠回しに個人的な思い出を書いたのは、正直今回は語るものが少ないからで、つまりは水増し。そして多分ウェルズについて書く事はこれからはないだろうから、もののついでにという奴だ。
ぶっちゃけウェルズはガラじゃない!
さて、本作が「らしく」ないのは、早い話が、ヒッチコックのスタイルで撮っているからだ。
物語はシンプル。第二次世界大戦後、逃亡した元ナチス高官(もちろん演じているのはウェルズ)を捜す国連犯罪捜査委員会の捜査員が手下を追跡、アメリカのある州で教師をやっている男に辿り着くが、判事の娘と結婚した教師はそれを隠そうとして殺人を犯してしまう。さて、どうなるか?である。
当時はドイツの戦争犯罪を裁くニュルンベルク裁判が話題になっている頃の、まさしく旬な題材であり、いわゆる謀略の要素も含まれたノワールである。まさしくヒッチコック。(画像はIMDb)
その時に『市民ケーン』と『偉大なるアンバーソン家の人々』でスケジュール&予算の超過をしてしまい問題児としてスタジオに睨まれてしまったウェルズがそれを払拭するために我を抑えてスタジオ側の言い分を受け入れて撮ったのが本作なので、彼にとっての黒歴史になっている。
また、当時のヒッチコックといえばヒット作を生み出す売れっ子なのだが、ジャンルがサスペンスなのでメインからは格下の存在として認められいて、例えるなら、ひと世代前のスピルバーグやイーストウッドと同じ立ち位置だとも言っても良い。-- フランスヌーベルバーグ等に評価されるのはまだ少し先の話 -- いわば「芸術」よりも「職人」に位置する。そしてウェルズは「芸術」の方なので真逆。でもヒットのため大衆への受け狙いのためにヒッチのスタイルを取り入れてみたのかも。(偏見込みの妄想)
(画像はIMDb)
まるで『カリ城』で失敗した宮崎駿が富野喜幸風でロボットアニメを作ったみたいな。(色々と問題発言)
ただ、当然ながらヒッチコックの完全なコピーにはなってはいない。冒頭から数分間はいつものウェルズのスタイルを使っているし、それが終わって本題のヒッチコック風スタイルになってもヒッチの毒々しいユーモアの部分は皆無なので、そのままを期待すると失望する。それはまた逆にヒッチコックのスタイルが苦手な者ならとても面白く感じるはずだ。
大体、ヒッチコック作品はプロデューサーのコントロールとサスペンスとユーモアの部分を取り除いてしまえば、ド変態オジサンの妄想でしかないのだが、それに対してウェルズはあまりにも文科系的真面目すぎる。(断言!)
でも、面白い!(大切ことなので二回)
そしておそらく、この経験が後の『上海から来た女』(1947) や『黒い罠』(1958) につながっていると考えると本作はそのためのオン・ザ・ジョブ・トレーニングだったと見るべきなのだろう。
ところで、ウェルズ作品のタイトルはいつも、オーソン・ウェルズの……な冠がつくのでしょうかね?
VODで鑑賞。