ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
殺そうとしていたローリー・ストロード(ジェイミー・リー・カーティス)のトラップにはまり、燃え盛る家に閉じ込められたマイケル・マイヤーズ。だが、彼は炎から抜け出し、自身と深い因縁のある街ハドンフィールドで次々と人々を惨殺していく。住民たちはマイケルを倒そうと決起するが、その一方で恐怖に耐え切れずに暴徒と化してしまう者もいた。街が騒然とする中、ローリーは今度こそマイケルと決着をつけようと準備を進めていた
シネマトゥデイより引用
今回はネタバレスレスレの真面目モード。
MATURIだ!MATURIだ!MATURIだ!MATURIだ!MATURIだ!
血祭りだぁ!
こんな感じ。
何しろ、本作のブギーマンことマイケル・マイヤーズは殺す!殺す!殺す!老人、子供、人種、LGBT、関係なく殺しまくる。
とにかく派手。
そして、前作が祖母、娘、孫の3代に渡るドラマだったが、今回はまた凄い大風呂敷を広げてきた。
それをめっさ纏めていうと、本作は次の『Halloween Ends』への橋渡し的位置にある。
スラッシャーホラーの再定義なのだ。
スラッシャーホラーとは、シリアルキラーという特異なキャラが人を殺しまくるジャンル映画だが、そこにまとわりつく批判。というよりもツッコミ、「シリアルキラーはどうしてあれだけやっても死なないのか?」とか、「さっきまでA地点にいたのに、次の瞬間にはどうしてB地点にいるのか?しかも息も切らさずに?」などだ。
どう見たって人外なのは当然。
なので、本作のマイケル・マイヤーズはシリアルキラーの姿をした恐怖と暴力の概念としてのモンスターとして再定義された。
それはつまり、処女&童貞は殺されないなどに象徴される若者向けで若者が中心として観ているジャンル映画のひとつであるスラッシャーホラーのシリアルキラーというキャラクターがより世情・社会批評として再定義された訳だ。
ティーン、特に根暗、今風に言うと陰キャに人気 -- ズバリ自分等 ーー だったモノが、様々なブラッシュアップと共に新たなステージへとアップした事になる。
もちろん背景には、かつてはそれを楽しんでいたティーンがもはや中年期以上になってしまった -- 本作ではそれを意識したキャスティングがされている -- からでもあるが、やはり大きな決定打は2001年3月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件からアメリカ社会を覆っている不安なのは間違い無い。それを象徴するシーンもちゃんとあるからだ。(画像はIMDb)
そしてこれは本作を撮ったデヴィッド・ゴードン・グリーン監督の考えだけでなく制作総指揮にも加わっているジョン・カーペンターとジェイミー・リー・カーティスの意思も含まれているのは当然だと考えるべきだろう。
まぁ、制作にブラムハウスが加わっているので、そ~なるかな~。とは思っていたけども、予想していたぼどでは無かったので、取り敢えずはひと安心。
個人的に考察系ホラーは語りたくないの〜。
で、そこまでは良しとして、作中で実際に行われているのは、ただ大風呂敷を広げているだけなので作品単体で見ると締りが悪い。
ぶっちゃけ「派手で迫力はあるけども、ホラーなのにあんまり怖くない」になっている。
これ、次作のでき次第で評価が変わるタイプになるのだろうな。
劇場で鑑賞。