ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
ネオ(キアヌ・リーヴス)は自分の生きている世界に違和感を覚え、やがて覚醒する。そして、マトリックスにとらわれているトリニティーを救出するため、さらには人類を救うため、マトリックスと再び戦うべく立ち上がる。
シネマトゥデイより引用
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
今日のポエム
エヴァとメロドラマ
今回はネタバレスレスレのチョイ誉めモード。
エヴァか!
もうちょっと付け加えると、お前らもうマトリックスから卒業しろ!
簡単にまとめるとそうなるわけだけれども、今回はそれとは別の感想もあるので、これは後述。
公開当時『マトリックス』(1999) の衝撃は斬新な映像表現共に「世界は何者かにコントロールされている」と感じていた層。つまり陰謀論者の精神的なよりどころになっていたフシがあって、その過程にあったのがオルタナ右翼でありフェイクニュースでありQアノンであり、その果てに起こったのが今年のはじめに起こったアメリカ合衆国議事堂襲撃事件なのは陰謀論に詳しい者なら知っている話だ。
さらに『マトリックス』でやってしまったのは(あえてその言い方を使う)能力の高さを努力という研鑽の賜物に求めすに精神力に求めたとこ。それが学問や練習などはしなくても精神さえ高ければ自身の力になる。と考えた人々が多くいた現実。この流れも陰謀論者を作りやすい構造となった。
もっとも、あの頃はそんな風潮でもあった。『マトリックス』の同年に、あの『ファイト・クラブ』が公開されているから。時代の雰囲気だったのだ。(画像はIMDb)
ただ、『マトリックス』はそれを銃とクンフーでやるという、分かり安さとっつき安さが功を奏して、大いに他のそれらを引き離してカルトになり大ヒット作になった。
ここは個人的な妄想の類だが、その雰囲気の流れにウォシャウスキー姉妹(当時は兄弟)も察していて、だから『マトリックス』を否定するかのような、2003年『リローデッド』と『レボリューションズ』を撮ったと考えている。しかしそれはどうやら『マトリックス』に熱狂した者から見れば物足りない内容だったのかもしれない。それでもそれでマトリックスに終止符を打った。
だけどもマトリックスは超人気作だ。出せば売れるのが確実な作品でもある。だから映画会社としては続きをやりたがるのは当然だとも言える。そしてウォシャウスキー姉妹の個人的な理由。両親と友人の死去という喪失感の体験もあって、リリー抜きで本作を撮ったラナ・ウォシャウスキーが本作でやったのはネオを復活させて救世主のヒーローから普通の人へと戻すこと。
そして本作は映画内で「マトリックスとは何だったのか?」を論じるメタとしての構造になっている。
早い話がシンエヴァだ。
だから本作は、「君はマトリックスをどう見ていた?」で評価が別れてしまう出来上がりになっている。ケレン味のリリーよりも理屈っぽいラナ監督っぽい。と言うべきか。
それでは、お前は本作をどう見たのか?と聞かれたら、その答えは、若い頃に悔いを残した中年達のワンスモアアゲインムービーとして観た。
だから、感情のベクトルはアクションとしての爽快感ではなく、メロドラマの感傷としての度合いが強い。
マトリックスならぬメロリックス (オヤジギャグ)
正直、自分は『レボリューションズ』の落とし所に「しゃらくせえ」とか感じていたので、本作の落とし所は好感を持っている。
だが、好感はあるが面白いとは言わない。
賛否で言ったら賛の方だが、絶賛はしたくない微妙な立ち位置。
アクションシーンをもう少し削って、もうちょっと小ぢんまりとした作りにした方が良かったかも、まぁそれは無理だったのかもしれないが……
でも、それが出来たら本作はもっともっと良くなったかも。
劇場で鑑賞。