えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

ナイトメア・アリー

お題「ゆっくり見たい映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

 

1939年、カーニバルのショーを観終わったスタントン(ブラッドリー・クーパー)は、マネージャーのクレム(ウィレム・デフォー)に声をかけられる。そこで出会った読心術師のジーナ(トニ・コレット)に気に入られたスタントンは、彼女の仕事を手伝い、そのテクニックを身につけていく。人気者となった彼は一座を離れて活動を始めるが、ある日精神科医を名乗る女性(ケイト・ブランシェット)と出会う。

シネマトゥデイより引用

 

今回もネタバレスレスレの絶賛解説モード

 

注意:今回は核心に迫るネタバレはありませんが、純粋に楽しみたい方には読まないことをお勧めします。またグロテスクな画像があるので気をつけてください。

 

大人になったなぁ、デル・トロ

 

まぁ、前作『シェイプ・オブ・ウォーター』から、兆候は見え隠れはしていたけども、本作はオタク色よりも、アート色がより強くなっているのは気のせいじゃないね。クローネンバーグで言うところの『戦慄の絆』からの『裸のランチ』みたいなヤツ。

 

もう、『ブレイド2』や『パシフィック・リム』みたいな作品は撮ってくれないのかな?

 

さて本作は、オカルトや超自然的なシーンは一切現れない、大人向けの、とてもとても品の良いフィルムノワールな作品だが、本質はいつものデル・トロなのも確か。

 

だって、人間が怪物になるドラマなのだから。

 

ぶっちゃけ『怪奇吸血人間スネーク』(1973) とドラマはほぼ同じ。

 

怪奇吸血人間スネーク

 

『怪奇吸血人間スネーク』とは、あるマッドサイエンティストが主人公の青年をだまして蛇人間にしてゆく物語だ。一応ホラーにジャンル分けされている。

 

観てないと、いや観ていても、「何よ?それ!」とツッコム向きもあるだろうが、感情を恐怖というよりも怪奇というべき行き方にもっていっているグロさはある。

 

これで納得できない方はクローネンバーグの『ザ・フライ』(1986) を思い出しても良い。

 

ザ・フライ

まぁ、人間やめる系の恐怖作品群。

 

本作のドラマはこれらと同じ!

 

もちろん、ここで「人間やめる」系の主人公スタンを演じているブラッドリー・クーパーことブラクリを怪物に変えるマッドサイエンティストを演じているのはケイト・ブランシェットことケイブラが演じるリリス・リッター博士だ。

 

ナイトメア・アリー

えっ、「ファムファタルじゃなくてマッドサイエンティストなの?」とか、「あの人は博士でも、分野が違う博士じゃないの?」のツッコミはナシだ。だって、先に言ったとおり、あの手の、ある意味悪趣味な物語とドラマを、大人のために、とてもとーーても上品なモノとして仕上げたのだから。

 

そんな本来なら、グログロな映像で満たされるはずのジャンルにデル・トロはたった一つだけに絞って、-- もちろんエノクのことだよ。 -- 表向きはノワールで綴ったのが本作。

 

だから、ブラクリが最下位から上り詰めて、そしてそこから転落して怪物になってゆく様を観客こと我々はただ眺めているだけの作品。本当にそれだけ。

 

ナイトメア・アリー

だから、物凄く品の良いことを除けば、いつものデル・トロなんだよ!(切れ気味)

 

でも、それで今まで見たことがないフィルムノワールになっている。そこがいい。

 

デル・トロは本作を撮る際に1947年のタイロン・パワー主演『悪魔の往く街』のリメイクよりもウィリアム・リンゼイ・グレシャムの原作『ナイトメア・アリー 悪夢小路』の映画化を考えたらしいけど、おそらく原作のイメージがそうなのだろう。原作読んでないから当てずっぽうだけどね。

 

1947年のタイロン・パワー版は当時、過激だったのかラストシーンを変えられたらしいが、原作もこうゆう締めなのだろう。読んでいないけど。(我ながらクドイ)

 

今年ベスト……かも?

 

デル・トロの次回作は『ピノッキオ』らしいが、これもとてもとーーーーーても品の良い作品になるのだろうな。

 

もう、『ブレイ……(以下省略)

 

でも、とても品良くでもいいから『狂気の山脈にて』は何とか実現してくれ!

 

(画像はIMDbより)

 

劇場で鑑賞。

 

 

 

 

 

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