ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
FBI訓練生クラリス(ジョディ・フォスター)は、連続殺人事件の犯人のヒントを聞き出すために、監禁中の元精神科医で殺人鬼レクター博士(アンソニー・ホプキンス)を訪ねる。レクターは、協力する代わりにクラリスに自分の過去を話すように言う。
シネマトゥデイより引用
今回はネタバレスレスレの解説モード
あるきっかけで、ひさしぶりに観直した。
本作は本格ミステリーの世界では、もはや古典になっている安楽椅子探偵を現代に甦らせた原作を映画化した作品だ。でも本作はミステリーというよりもホラー要素が強いスリラーと言ったところか。
しかも探偵が、元精神科医の超あたまのイイ殺人鬼というのがチョー受けて、今でもそんなキャラが現れている。という超人気。
もう30年以上経っているけど。
もはや類型化。最近の邦画でも見かけたしな。
それはもちろん、ハンニバル・レクター博士を演じたアンソニー・ホプキンスが見事にハマったからだ。それまで英国俳優 (現在はアメリカ市民権を得ている) から着実にキャリアを踏んでの大ブレイク。本作以降は名を知らない者はいない。
これが30年… (ループになるので端折る)
そして本作は、決して感動作でもないのにアカデミー賞に気に入られて、作品、監督、主演男優、主演女優、脚色の5部門を受賞。世界の映画界からも高い評価を受けている。
題材が題材なのに、こんなに評価が高いのは作品そのものに品があるからだ。
その品とは何かと言えば、現代に根強い男性中心的な社会システム。速い話マチスモ社会に対する批判が根底にあるからだ。本作ではそれらをさり気なくアピールしている。
だから、クラリスもバッファロービルもマチスモ社会に巻き込まれたキャラクターとして描かれる。もっともクラリス -- それを画で示すカットもある -- はそれに抗うのに対してバッファロービル -- レクターが「彼は性的倒錯者では無い」と分析するのはそうゆう意味 -- はそれに敗れたという違いはある。
この世は、まだ男性中心に社会が回っている。古代ローマ文明からはじまった価値観に縛られている。それをお手本にしている集団も同じ。だから男性に優位になっている。男性優位社会だ。なので、そこから這い上がろうとする女性も男性としてマッチョとして振る舞わればならない。
それを象徴するのが、ルース・マーティン上院議員だ。
彼女こそが、男性優位社会で地位を手に入れるために男性以上に男性としてマッチョとして働いてきた、いわゆる「鉄の女」を象徴するキャラだからだ。これでピンとこなければヒラリー・クリントンを思い出しても良い。
だから……
レクター「母乳で育てたか?」
と質問するし、
マーティン「したわ」
と答えると、
レクター「乳首は感じたのか」
と返す。
彼女の返事が嘘だと気がついているからだ。あきらかに「鉄の女」を装う女性に対する批判であり、男性優位社会に対する批判でもある。
そうすると、レクターがどうしてクラリスに協力したのかが見えてくる。男性優位社会の中で女性でありながら「鉄の女」を装わないで、レクターに素直に答えたからだ。
そこから本作でのレクターの役割と、猟奇殺人犯でもある彼をクラリスが「自分は襲われない」と確信が持てたのかが薄っすらとだが見えてくる。
レクター博士はクラリスにとっての救世主としての役割を与えられている。
だから、クラリスとレクターとの最後の対話は、まるで懺悔室のように構成されている。
もっと直接的な物言いをすれば、ここでのレクター博士はイエス・キリストなのだ。そのように印象付けるように、このシーンの彼は逆光のライティングで、まるで後光がさしているイメージだし、なによりも、その後にそのものズバリを画で証明している。
繰り返しになるが、男性優位社会とはローマカソリックの価値観からはじまっている。なのでそのアンチとしてレクターがイエスの役どころを与えられるのは理路整然とした道筋だ。
余談だが……でもないか、聖書では羊の例えがよく現れる。そこで言う羊とは人間の事であり、羊飼いとはイエス・キリストを指す。
迷える子羊をイエス・キリストならぬ食人殺人鬼が救いへと導く。
救世主ことキリストであるレクターと信者である関係が出来上がったクラリスは、だから「自分は襲われない」と直観している。彼の庇護下にあるからだ。
この不思議な倒錯が、本作の品の良さであり、ホラー&スリラーファンだけではなく一般でも根強い人気を保つているのはそうゆう事なのだ。
VODで鑑賞。