えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

生きる LIVING

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

 

ストーリー

1953年、第2次世界大戦後のロンドン。仕事一筋に生きてきた公務員ウィリアムズは、自分の人生を空虚で無意味なものと感じていた。そんなある日、彼はガンに冒されていることがわかり、医師から余命半年と宣告される。手遅れになる前に充実した人生を手に入れたいと考えたウィリアムズは、仕事を放棄し、海辺のリゾート地で酒を飲んで馬鹿騒ぎするも満たされない。ロンドンへ戻った彼はかつての部下マーガレットと再会し、バイタリティに溢れる彼女と過ごす中で、自分も新しい一歩を踏み出すことを決意する。

スタッフ

監督オリバー・ハーマナス
製作スティーブン・ウーリー エリザベス・カールセン
製作総指揮ノーマン・メリー ピーター・ハンプデン ショーン・ウィーラン トーステン・シューマッハー エマ・バーコフスキー オリー・マッデン ダニエル・バトセック カズオ・イシグロ ニック・パウエル
原作 黒澤明 橋本忍 小国英雄
脚本カズオ・イシグロ
撮影ジェイミー・D・ラムジー
美術ヘレン・スコット
衣装サンディ・パウエル
編集クリス・ワイアット
音楽エミリー・レビネイズ=ファルーシュ

2022年製作/103分/G/イギリス
原題:Living

映画.comより引用

 

今回はネタバレスレスレの解説モード。

 

注意:ネタバレに迫る核心部分には触れていませんが、純粋に楽しみたい方にはオススメできません。そして今回は、『生きる LIVING』を本作。1952年『生きる』をオリジナルと呼称します。

 

ガラにもないが、見事でしたな。換骨奪胎の極みな作品だった。

 

黒澤作品の名残りを一掃して『生きる』のみが残った、という感覚。

 

まるで、オリジナルの料理をグツグツと煮込んで、不純物を取り除いていくつかのエキスのみを抽出して別な料理として作り上げた……みたいな。

 

だからオリジナルに強い思い入れある自分としては最初は批判として書こうとも考えたけども、ここまでされたら、シャッポを脱ぐしかないじゃないですか。

 

端的にいってしまえば、黒澤作品にあったダイナミックな魅力が本作にはまったくない。完全に消え失せている。

 

ダイナミックな魅力をさらに具体的に書くと、オリジナルは神の視点、というよりも、一人の男の生涯を、もっと高い視点から語られた展開で、-- だから、ナレーションが入る -- あったのに対して本作の視点はせいぜい主人公まわりでおそろしく低い。しかし、低いからこそオリジナルよりも短縮できた。(本作103分、オリジナル143分!)

 

オリジナルはスペクタクルに描いていたが、本作はパーソナルな範囲を超えない。

 

だから、オリジナルの後半に主人公が公園を作ろうと東奔西走するシークエンスにおける凄みが本作からは感じられない。

 

とはいえ、低い視点からでも普遍性をもたしているので、劣っているわけでもない。このあたりも小津的というべきか。

 

そして、誰もが気がつくのは、オリジナルの小田切みき演じる、とよに比べて本作のエイミー・ルー・ウッド演じるマーガレットの役割りがまったく違っていた。オリジナルのとよは後半からは登場しなくなるが、本作のマーガレットは後半の葬式シーンにも登場して、さらにデートのシーンも挿入している。これはオリジナルのとよが主人公をある意志へと導く「聖母」のイメージが --.だから、あのカットで主人公が生まれ変わる象徴としてのハッピーバースデーの合唱がかかる -- 充てられているのに対して本作のマーガレットは一人の人間として描かれいるからだ。ココもパーソナル。

 

生きる

生きる LIVING

とまぁ、本作は黒澤らしさがことごとく消えている。代わりに小津安二郎とか入れ込んでいるけどね。ヒント:主演&食卓&通勤列車

 

それでは、消え失せたオリジナルから抽出されたエキスとは何なのかといえば、「理想的人間」と「童心(純粋さ)に帰る」の二つだろうと自分はみている。

 

「理想的人間」はオリジナル。というよりも、モノクロ時代の黒澤がつねに主張していた「人間は何かを持っていなければ、世俗にまみれて駄目になる」であり、だから「何かを持って生きなくてはなならい」と主張する熱いモノなのだが、それを本作では「紳士」という単語に集約させている。このあたりは誰もがすぐに分かるだろう。

 

そして、次の「童心(純粋さ)に帰る」の方とは端的に言ってしまえば、オリジナルが『ゴンドラの唄』なのに対して本作ではスコットランド民謡『ナナカマドの木』が充てられてはいるが、共通するのが、主人公が物心をついた時に何を聞いて育ったか。であり、そこから導き出されるのは、「理想的人間」になれた人は「より良く生きた」からで、それは「童心(子供)」に戻れたからだと示唆している。

 

生きる

生きる LIVING

どう死ぬか、どう生きるか、はコインの裏表と同じ。自らの原点に戻ってゆくこと。本作はオリジナルの隠し味をちゃんと読み取って使っている。

 

だから、巧いな。とは考える。とはいえ、これがシミジミと伝わるのは、自分もその年齢に達したからであって、例えば20代に本作を観ても「良いな」とは感じつつも、オリジナルの方が好きだな。とかしか思わないだろう。

 

ようするに、本作の方が良いと感じるのはオッサン以上。

 

表現としての普遍性はあるが、共感できる年齢のレンジは狭い。

 

間違っても、30代以下が「感動しました」とは言ってはいけないよ。それは世間に惑わされて自分に噓をついているか、なーんちゃっての可能性が濃厚だから。

 

何かを見ての「感心」と「感動」は情動としては同じだが、本質としては別物だ。

 

自分も小津や成瀬作品がシミジミするようになったのは30年代後半からだし。

 

と、老婆心から。

 

‐‐ しかも、意図なのか偶然なのかはわからないが、結果としてオリジナルに対する批評にもなってましたな。

 

劇場で鑑賞。

 

 

 

 

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