えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

Winny

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

ポスター画像

 

ストーリー

2002年、データのやりとりが簡単にできるファイル共有ソフトWinny」を開発した金子勇は、その試用版をインターネットの巨大掲示板2ちゃんねる」に公開する。公開後、瞬く間にシェアを伸ばすが、その裏では大量の映画やゲーム、音楽などが違法アップロードされ、次第に社会問題へ発展していく。違法コピーした者たちが逮捕される中、開発者の金子も著作権法違反ほう助の容疑で2004年に逮捕されてしまう。金子の弁護を引き受けることとなった弁護士・壇俊光は、金子と共に警察の逮捕の不当性を裁判で主張するが、第一審では有罪判決を下されてしまい……。

スタッフ

監督 松本優作
原案 渡辺淳
脚本 松本優作 岸建太朗
企画 古橋智史
プロデューサー 伊藤主税 藤井宏二 金山
撮影 岸建太朗
照明 玉川直人
録音 伊藤裕規
衣装 川本誠子 梶原夏帆
ヘアメイク 板垣実和
装飾 有村謙志
編集 田巻源太
音楽プロデューサー 田井モトヨシ
音楽 Teje 田井千里

2023年製作/127分/G/日本

映画.comより引用

 

今回はネタバレスレスレのチョイ誉め解説モード。

 

注意:今回核心に迫る内容には触れていませんが、純粋に楽しみたい方には読まない事をお勧めいたします。

 

本作は2004年著作権法違反ほう助罪で逮捕・起訴されたプログラマー金子勇の第一審を主に弁護士側から描いた作品だ。ファイル共有ソフトWinnyがどんな仕組みを持っていて、直接には法を犯していない金子勇がどうして罪となり裁かれたのか、著作権違反のツールとして第三者に利用されたWinnyの本来の目的は何だったのかは本作で描かれているので、今回はあえてそこは語らない。

 

代わりに今回重点的に語りたいのは、本作は邦画ではじめて「天才」という存在をキチンと描いた作品として自分が強く感じているからだ。

 

本当は映画ではじめて。と断言したいのだげども、もしかしたら、とさすがにコレは度が過ぎると思って、小さく邦画と言っているだけだ。

 

自分等凡人のとって「天才」は、格好の見世物だ。エンタテイメントだ。彼等の奇妙な振る舞いや理解できない思考は、否定&肯定であろうが、充分にエキサイティングで語りがいのある対象である。最近に、そんドキュメンタリーも放送されたし……。

 

 

しかし、映画やテレビなどのドラマで描かれている彼等は、どれも凡人な自分等が思い描く姿の域を出ない。例えば「数字が動いてみたり」とか、「他の誰もが思いつかないビジョンが見えていたり」とか、はたまた「天才の気まぐれに周りの人が振り回されてしまう」とかだ。しかし、所詮それらは自分等凡人が思い付く「天才」であって本物ではない。

 

また逆に、その奇妙さを強調するよりも自分等凡人との同じ弱さを接点にして描くことで「天才」を親しみやすい存在として認めさせるのもあるが、やはりそのものを描いているわけではない。

 

我々凡人には「天才」など、分かるはずもないし、だから描くこともできない。

 

それが本作では実際に起きたWinnyによる裁判とそれを作った人物を弁護士目線で描いたことで、「天才」と言われている人物・人間像がとても解りやすくなっている。

 

それを簡単に言ってしまえば、言語以外の方法でしか他者とのコミュニケーションをすることができない。これが「天才」。

 

そんなこれでも、最初はジャンクフードを貪りながらパソコンのキーをカタカタと打ち込むステレオタイプな人物として描かれ、弁護士の接見では世間知らずの極度なシャイ、というよりも極端な人見知りとして描写される。

 

それが、裁判が進むに連れて金子という人物が本質的にはタフでありチャーミングな何かをもっている存在として弁護士側を通して自分等観客にもストンと認められるように感情を誘導されている。

 

自分等凡人共と金子勇という天才との交流を裁判というプロトコルによって成立させているわけだ。

 

これが狙ったものなのか、それとも結果としてそうなったのかは自分には判断ができなかったが、少なくとも実際に彼と接していた弁護士側の証言を基に脚本として書いて出来上がった人物像なのは間違いはない。

 

本来の金子勇の姿か映画用キャラの姿なのかはどうでも良くて、映画として描かれた姿が結果として「天才」になっているのだから。

 

なので、その天才が才能を発揮できない状況を切々と描くことで、逆に権力側が、ソフトそのものよりも面子を保つために金子に弾圧をしている構図になっている。

 

天才の悲劇とは自身の能力を使って他者とのコミュニケーションができない状況に陥る事だ。自らの言語で喋る事ができない残酷さ。

 

Winny (画像は映画.com)

そうゆう意味では本作は、現代のガリレオ裁判的な悲劇性を帯びている作品となった。

 

劇場で鑑賞。

 

 

 

 

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画備忘録へ
にほんブログ村

映画(全般) ブログランキングへ