えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

読書:『ポピュリズムとは何か - 民主主義の敵か、改革の希望か』

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

 

最近観た『シビル・ウォー アメリカ最後の日』ポピュリズムについて書くために途中でやめていたコノ書籍を読み通したので今回は紹介してみたい。

 

その前にポピュリズムとは訳せば大衆迎合主義になるが、それがファシズム権威主義とどう違うのか定義分けをするとこんな感じになる。

 

ファシズムとは権力等が国家の手中にあり、その維持のために民衆を含む反対者を思想・肉体的に弾圧する。

 

権威主義とは弾圧こそ表立ってはしないが、権力等がその維持のため世論を操作して民衆を導く。

 

ポピュリズムとは民衆が政治に持つ不満を権力者が取り上げてそれを煽ることで支持を得る。

 

その劣化工合を不等式で表すと、ファシズム権威主義ポピュリズム となるのだが、ここから見えてくるのは、王族や貴族ではなく国民が政治の主体となる民主制・デモクラシーの瑕疵というかバグとういべきものから発生する膿みたいな存在。

 

だから本来の政治思想で語られる、保守とかリベラルとか左派とか右派とかに関係なくそれらは生まれてしまうものでもある。

 

そのひとつがポピュリズム

 

そして、その根底にあるのが反知性あるいは反知性主義がある。

 

反知性、というと単純に頭の良い者が嫌いを思い浮かぶが、ココでのそれは知的権威や知的エリートに懐疑的な立場を取る者達を指す。

 

念の為に言っておくと反知性そのものは決して悪いことでは無い。知的エリートが間違いを起すことは歴史上多々ある事だからだ。

 

ただ、ポピュリズムにはそれプラス、自国から余所者を追い出す排外主義が入り込んでいるのが事態を複雑にしている状況がある。

 

章立てはこんなの……

 

第1章 ポピュリズムとは何か

第2章 解放の論理

第3章 抑圧に論理

第4章 リベラルゆえの「反イスラム

第5章 国民投票パラドックス

第6章 イギリスのEU離脱

第7章 グローバル化するポピュリズム

 

の7つ。

 

第1章は問題提起。

 

第2章ではアルゼンチンのファン・ペロン大統領を題材にして外国資本を追放して自国のみで経済活動をしてゆこうとする原初のポピュリズムについて解説。

 

第3章から6章までは人道上におけるイスラム移民&難民に対する欧州エリートの対応が民衆に不満と不安を増殖させて極右だけでなくリベラルにもポピュリズムが誕生した例をフランス、デンマーク、オランダを例にして紹介する。

 

第7章がこれからのポピュリズムの動向について。

 

そこから要約すると……

 

ポピュリズムは民主制の膿なので、イデオロギーとは関係なく起こる。その問題は国家を運営するエリートと民衆との拭い難い断絶がある。

 

つまり、これはエリートと民衆との抗争なのであって、どちらかが弱体化するまで終る可能性が少ない。

 

この2点。

 

従来なら、それをエリート側が啓蒙活動で民衆に伝え徐々に変えてゆけば最悪は回避できるかもしれないが、現実に苦しんでいる彼等にとっては、そんな絵に描いた餅のような理想を目指す行為に絶望なほど辟易しているからこそポピュリズムを支持しているので、出口は見えない状況になっている。

 

そして、本書で注目すべきは、カリスマが民衆の不満を扇動してポピュリズムの政治運動を組織化してしまうと、そのカリスマ創始者がいなくなっても運動そのものは消滅せずに残る可能性が高くなる点を指摘している。

 

そこから鑑みれば、現在アメリカではポピュリズム的なトランプが合衆国大統領に返り咲きしたが、仮に彼がいなくなってもそれは事態は消滅することは無く、その影響はかなり長期に残る事になり、そして大国なので我が国もそれに振り回されると予測できる。

 

鬱々です。

 

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