えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

晩酌で観た『デス・レース2000』

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

最近、アメリカが安い国へと変貌しようとしている。

 

だったら、コノ作品について語るのは今しかない。

 

内容は、世界大戦後の2000年。アメリカは非民主的国家となり、政府はニューヨークからロスアンゼルスまで5組の特殊なレーシングカーが勝敗を競うイベントで、それを国民の不満へのはけ口としていた。もちろんただのレースではなく、競技中にどれくらいの人間を殺せるかも点数に入る。

 

そんな殺人レースの連続チャンピオンで、今や国民的ヒーローとなったフランケンシュタインと女性ナビゲーターと彼を殺してその後釜を狙うマシンガン・ジョーを含む4組が今年もレースに挑むが、そこに現体制に不満を持っているレジスタンスが何やら工作を企ていて……な流れ。

 

コノ作品は、映画ファンからはカルトとして認められている、制作にB級映画の巨匠(変な言い回し)であるロジャー・コーマンが関わる、いわゆるディストピアSFなのだけれども、従来のソレとは違うノリでやっている。

 

ディストピアなのに明るいのだ。

 

陰気ではなく陽気さがある。

 

ディストピアといえば、一応政体は維持されて秩序はあるが、自由は制限された抑圧的な社会という定義なのだが、それは例えば、人口爆発や環境汚染によるものだとか、旧ソ連(現:ロシア)を思わせる硬直した官僚的支配などがあるが、コノ作品ではソウユウのではなく、技術的には未来だが、どこか宗教的な ーー.コノ作品でもソレっぽいキャラが登場している ーー 雰囲気が強くて抑圧的で自由な気風が無くなっている状況。

 

仮想敵はソ連ではなくフランス。

 

ハッキリ言ってアメリカ~ンなディストピア

 

なので、メインであるデス・レースも、ローマ帝国の剣闘士どおしの戦いをモデルにしているのはすぐに分かるし、それプラスで斜面の盤面にボールを上手く転がして配置されている目標に当てることで点数を競うアメリカ生まれのピンボールという卓上ゲームを組み入れているのはビデオゲーム以前を覚えている者なら納得できるはずだ。

 

このアメリカ~ンなディストピアは、あのジョン・カーペンターがかなり意識していて、監督作の『ゼイリブ』(1988)や『エスケープ・フロム・L.A.』(1996)はそのトーンとテイストで描かれている。『エスケープ…』にいたってはコノ作品の監督で俳優でもあるポール・バーデルをキャスティングしているくらいなので本物だろう。

 

 

とまぁ、今日では予言的な映画ではあるのだが、コノ作品の公開年は1975年なので、本当にソレではなく、当時から現在まで続くローモデルというべき者が存在する。

 

端的に言えばこれはバリー・ゴールドウォーターなる人物からはじまった話なのだ。

 

Wikipediaより

ゴールドウォーターは共和党員で、1950年代から80年代にかけて上院議員を務め、1964年の合衆国大統領選挙でリンドン・ジョンソン(当時副大統領からケネディ暗殺で大統領に就任)と競い合いあった人物だが、彼の特徴を一言で表すなら「反リベラル」だ。国民生活を安定させる社会福祉や政府が経済に積極的に関わる「大きな政府」よりも、政府が社会福祉も含む経済活動を市場原理に任せる「小さな政府」を支持、融和よりも対決指向を鮮明にするために反共主義でもある。そしてアメリ公民権運動にも反対を表明していた人物。

 

なので、リベラルから見れば極右であり、同胞の保守からは理想的なイコンとなった。そこに彼の意志を継ぐであろうと考えられていた歴代共和党大統領のニクソンレーガン、そしてトランプが支持されて、そこに移民への排外と宗教とネットの過激な右派が集結融合したのが現在の合衆国の現状。

 

それでは「どうして、お前はそこまで言い切れるの?」と問われれば、コノ作品に登場する大統領がゴールドウォーターに寄せているから。

 

 

もちろん、バーデルもコーマンも真っ向から批判するつもりは無くて、揶揄・誂う程度だったなのだろうけども、現実がここまで似通ってくればなぁ……。

 

さて本来なら、シルベスター・スタローンが表立ってはいるけど、主役はデビッド・キャラダインだとか 、原作のイブ・メルキオールのエピソードとかも書くべきだろうが、モウ気力が尽きた。

 

 

今日はコレにて終了!

 

(画像はすべてImdbより)

 

VODで鑑賞。

 

 

 

 

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