えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

最近観た『プロジェクト・ヘイル・メアリー』

お題「ゆっくり見たい映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

関連記事

eizatuki.hatenablog.com

eizatuki.hatenablog.com

 

注意:今回は作品の根幹にかかわる言及は避けますが、純粋に楽しみたい方には読まない事をお勧めいたします。

 

みた、みた。

 

よい、よい。

 

鑑賞したら、やりたくなりますよねコレ。

 

内容は、かつて分子生物学の研究者であったが、宇宙生物について学会に反発してしまったがために今は中学で理科教師となった主人公グレースは太陽の光度が急速に落ちてこのままでは地球は冷え込み地表の生物は死滅ゆく現実を知りながらも日々を過ごしていたが、そこにストラットという人物が現れて、そこから今までの生活が一変する……という展開。

 

アトもう、予告でも流されているので、バラしても良いだろうが、この現象は太陽だけでなく、他の恒星でも進行していたが、その中でなぜがタウ星系だけが被害を免れていたのを知ったストラット等はそこに人を送り込む特攻ミッションを敢行、それに何故かグレースも加わり目的星に行ってみれば同乗者は死亡、ひとりぼっちとなった彼の前に他の星からやって来た同じくこちらもぼっちの珪素生物とファーストコンタクト。彼をロッキーと名付け二人はこれに対処する。

 

アンディ・ウィアーの著作もすでに読書済なので今回はソコと照らし合わせながらで語るが、原作は全編にわたり博愛に貫かれている。

 

博愛とは、人種、国籍、宗教、階級などの垣根を越えた平等のことだ。これは人間という社会性を持つ動物が得た最も尊い概念といってもよい。

 

そして、歴史からみた博愛とは根っこに宗教があり木々には様々な思想があり葉には人権がついている。

 

もちろん、博愛はあくまでも理想だが、それをより具現化・現実として行動するツールとしてついてまわるのが、理性。

 

なので、博愛と理性は離れられない関係ともいえる。いわばバディ。

 

ただ、ウィアー流は少し定義は違う

 

ウィアーの博愛とはサイエンス・科学が根っこになっているとことだ。

 

だから、原作で描かれる、滅亡回避のためとはいえ国家が垣根を越えて協力しあうドラマはウィアー流からみればごく自然な展開であり流れだ。

 

ソコに文句はゆうな。古い地球人よ!(唐突にガ〇ダム)

 

その根拠は後半に語るとして、原作ではソウなのだけれども、本作ではそれをやるには難しいと判断されたか、かなりパーソナル・個人的なドラマをもってきた。

 

簡単に言ってしまえば、それは「孤独」。

 

本作の主人公グレースは、かつてはパートナーもいたらしいが今では独り身であり、パーティーでも誰にも交ざることができずにいるいわゆる「ぼっち」だ。

 

それでは他とのコミュニケーションができない陰キャかといえば、教師をやっているくらいなので人並みの能力は持っている。

 

それではドコがソレなんだと言えば、早い話が「天才だから」。

 

第一、この様な危機が起きなければ、彼の研究は一生評価がされなかったのは間違いはないし、この危機的状況で未知のアストロファージという生物の培養という難しい実験をわずかな予算でやってしまう彼は紛れもなく天才だ。

 

だけども、その切れ者ぶりを理解してソレらをさらに高めてくれる相手はいない。それはまるで一片のピースだけがないパズルみたいなモノだ。

 

画像5

 

それ故の「孤独」。

 

本作では、そんなグレースに陰影をつけるために別種の「孤独」もチョイ描く。

 

画像6

 

それはストラットの「孤独」。

 

別種、なのでグレースの「天才であるが故の孤独」ではなく、ストラットのは「目的のためには非情にならなければならないリーダーとしての孤独」だ。

 

戦争における最高司令官としての「孤独」とも言い換えてもよい。

 

本質として交われないグレースとは違い、人類文明を救うという責任がある彼女は、いざとなれば冷酷な決断もしなければならないし、実際に後半でソレをするのでチームメイトの感覚では他とは交われない。

 

なので、彼女もパーティーなのに独り外でたたずむ。

 

そんな「孤独」。

 

ところが、グレースは意外にも地球から約12光年も離れた場所で「孤独」を埋めるパズルにピッタリとハマるピースと出会う。

 

それが、ロッキー。

 

こうして、グレースは孤独から解放され、そこからストラットも解放される。

 

これが、本作のドラマの核だ。

 

そうゆう視点からみれば本作は滅亡というスリルとサスペンスを含みながらもソコはかならずしもメインではなく、ヒューマンに重きをおいたドラマになっている。

 

さて、後半の語りになるが、ウィアーの博愛の根はサイエンスだとしてきたが、その根拠は原作&本作の最大のキーであるアストロファージにある。

 

太陽エネルギーを吸収するアストロファージはなんとその内部に特殊相対性理論からみちびきだされた「質量とエネルギーの等価性」の方程式であるE=mc²を生命活動としての代謝を行っているというとんでもない設定で、つまり反物質を生成できるしくみになっている。

 

自分は基礎レベルの科学知識しかもたないので、この設定のリアリティがどこにあるのかがわからずピンとはこないのだけども、これを受け入れれば、このアストロファージ自身が推進機能をもった宇宙船みたいなモノであり、星から星へと移動する能力をもっているのはすぐに理解できる。

 

そして……

 

「ぼくもずっと考えていたんだ。論破するにはかなりむずかしいと思うよ。アストロファージの祖先が何十億年も前に地球とエリド(注釈:ロッキードが住む星系)に生命の種を蒔いた、という理論だ」

アンディ・ウィアー著『プロジェクト・ヘイル・メアリー  下巻』

 

これは生命は地球外からもたらされたというパンスペルミア説(宇宙播種説)をしめすもので、ウィアー流な博愛の視点からソレを語れば、僕らの根っこは皆同じ -- これは原子レベルで言い換えても同じ -- なので、科学こそが博愛の根っこになるべきだ。という主張だ。

 

そして、付け加えるなら、原作でしつこいくらいに描かれる科学的思考の数々は理性をより明確に具現化したともいえる。

 

なんと、超ラディカルで超クール!

 

個人としては、本作にそれが無かったのがチョイ、チョイ不満。

 

画像1

 

でも、でも、原作どおりに、あのダサカッコいい<ヘイル・メアリー号>をちゃんとやってくれたのは、よい、よい。(最後に本音)

 

では、では。

 

劇場で鑑賞。

 

監督:フィル・ロード クリストファー・ミラー
製作:エイミー・パスカル ライアン・ゴズリング フィル・ロード クリストファー・ミラー アディッティア・スード レイチェル・オコナー アンディ・ウィアー
製作総指揮:パトリシア・ウィッチャー ドリュー・ゴダード ルーシー・キタダ ニッキ・バイダ サラ・エスバーグ ケン・カオ
原作:アンディ・ウィアー
脚本:ドリュー・ゴダード
撮影:グレイグ・フレイザー
音楽:ダニエル・ペンバートン

(データと画像は映画.com)

 

 

 

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画備忘録へ
にほんブログ村

映画(全般) ブログランキングへ