ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
サンフランシスコに住むブロディ夫妻に東京から父が逮捕された報を知るエドワードの父ジョーは彼と共に子供の頃に住んでいた日本で謎の原発事故に遭い、事故の原因を探っている父に反発して疎遠になっていたのだ。ジョーを引き取りに日本にやってきたエドワードは「今度こそ」と主張するジョーに説得されて閉鎖されていた事故現場へと侵入して拘束されてしまう。そこで彼等が知ったのは、謎の巨大生物とそれを監視してきたモナークという組織の存在だった。
ギャレス・エドワード監督
三作に渡ってのゴジラ話。二回目はギャレゴジ(またはレジェゴジ)について。
日本人が考える怪獣とアメリカ人が考える怪獣というよりもモンスター感に微妙な違いがある。アメリカ人にとって怪獣(モンスター)は人が倒せる。と考えているのに対して、日本人は怪獣は倒せないと認識しているところだろう。アメリカ人にとって「人間の驕り」は自制と制御ができる。と考えているが、日本人には「人間の驕り」は仏教のカルマ(豪)に近い感覚で、自制とか制御の範疇ではない。もうちょっと付け加えると怪獣とは宗教以前の神や怨霊の象徴が怪獣なのだ。その感覚が明確に反対的な違いとなって表れていたのがエメゴジなので、日本では反発をくらったところがある。
だから今作のテーマは、ゴジラとは怪獣とは「神である」を徐々に主張する。
ただ、日本の神ではなく、どちらかといえば北欧神話の神に近い。これは世界的なマーケティングを考慮してからの判断だろう。ギャレゴジとはアメリカ人が怪獣を神と認める映画だ。その代表がアーロン・テイラー=ジョンソン演じる主人公のエドワード・ブロディであるのは間違いない。
実際にエドワードは最初はゴジラの事を「化物」と吐き捨てる。これは今までアメリカ人が持っていた怪獣観そのものだ。そしてゴジラそのものはナカナカ登場せずにじらしにじらして、いざ登場となった段で2004年のスマトラ島沖地震を思い出させる -- 日本人には東日本大震災 を思い出させる。-- 様な登場をする。そして、クライマックスで猛煙の中に消えてゆくゴジラと視線を合わせる事で、エドワードにゴジラから畏怖を感じ取り、ラストシーンでゴジラを「化物ではない何か」と認めるように。エドワード、つまり観客の感情を誘導している。
もちろんそれを説明で補佐するのが渡辺謙演じる芹沢猪四郎博士だ。「怪獣は自然そのものだ」だと主張(定義)し、それを退治(制御)できるという考えに異を唱える。
とくに芹沢が核兵器で怪獣(ムートーとゴジラ)を倒すために核兵器を使う決断をした際に広島への原子爆弾投下の話をもちだして責任者であるウィリアム・ステンツ司令長官 -- 演じているのが、ジョン・セイルズ監督作『エイトメン・アウト』や『メイトワン1920 』でアメリカの暗部を暴いた作品に出演していたデビッド・ストラザーンをキャスティングしているのも意図的だと分かる。-- を核兵器使用の中止を懇願するシーンは「怪獣は化物ではなく神である。だから倒すことはできない」を暗に観客に訴える。
そしてムートーに対する核兵器でのアレヤコレヤのドタバタ劇 -- 劇そのものは「どんな状況でも核を使ってはいけない!それは自然を破壊する行為だ」と主張してきた『ゴジラ (1984)』の原案・制作者だった田中友幸の考えを抑えている。-- を挟みながら進行するのだ。つまり……
ものスゲー回りくどいし、面倒過ぎるプロットだな!コレ !!
そんな面倒臭さは、先述したようにアメリカ人にとって怪獣とはモンスターであり、倒せる存在だと思い込んでいるから、その思い込みを取り除くために皮を剥く様にゴジラ&ムートーを -- 付け加えるとこれからはじまるモンスターバースから登場する怪獣がモンスターとどう違うのかを印象づけるために -- 描いてゆくことで人間が決して倒せない怪獣として宣言しているからでもある。
つまり怪獣とは、地震や津波や噴火などの天変地異と同じ存在なのだ。
しかも、ゴジラをはじめ日本の怪獣の原点がアメリカの核兵器であるのは明白なのに、直で描くとアメリカ国内から猛反発を食らいかねないデリケートな問題を含んでいるので暗に遠回しで語らなければならないという、綱渡り的な部分をもっている。
そうしてアメリカ人も日本人も満足できる着地点をもってきたのがギャレゴジの特徴だ。しかし、大予算映画も色々と大変だな。
Godzilla - Official Teaser Trailer [HD]