ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
クリスティン・ルーネンズ原作『Caging Skies』の映画化。第2次世界大戦下のドイツ。10歳のジョジョは、空想上の友だちであるアドルフの助けを借りながら、青少年集団「ヒトラーユーゲント」で、奮闘する毎日を送っていた。しかし、訓練でウサギを殺すことができなかったジョジョは、仲間から「ジョジョ・ラビット」という不名誉なあだ名をつけられ、からかいの対象となってしまう。母親とふたりで暮らすジョジョは、ある日家の片隅に隠された小さな部屋に誰かがいることに気づいてしまう。そこでジョジョが見たものは。
タイカ・ワイティテイ監督
感想から先に言ってしまいうと「あまり心が躍らなかった」、「感動しなかった」。と、いって「面白くない」わけでもない。まるで、スーっと観てスッ~と終わったって感じ、自分に引っ掛かるところが無い感じ。
もちろん、これがリアリティ重視ではないのは解るし、ジョン・ブアマン監督『戦場の小さな天使たち』の毒気(あるいは茶目っ気)やスティーブン・スピルバーグ監督『太陽の帝国』の戦争の悲惨さと戦闘機への憧れとのアンビバレンスな感情とも違うファンタジーに似た位置にあるのは解る。
そうなのだけれども、ある人物との関りが、この作品のメインだとすると、前半に現れるワイティテイ監督が演じたヒトラーはジョジョを大けがさせるために設定されているとしか見えないのだ。つまりジョジョがナチス礼賛モードから解放されてゆく過程を見せたかったらジョジョとヒトラーとの絡みを中心に描けばいいし、ある人物との絡みが中心ならヒトラーは必要がないし、むしろ邪魔だ。
しかも、最初で今作の主題がビートルズではじまりデビッド・ボウイで締めるところから「憎しみよりも愛し合おう」もあるのも何となく察せられるところから、昨今のヘイト運動に対するワイティテイ監督の「異議申し立て」みたいな側面もあるっぽいのも解るのだけれども、それらが上手く融合されていない感じがするのだ。原作を知らないので、このへんの部分をどう見てよいのかが難しい。
早い話がドラマが緩い。ワイティテイ監督は黒澤明みたいにソレを映像 -- ファンタジーとしてならなおの事 -- として表現して締めてゆくタイプでもなさそうだし、今作は脚本も監督のみなので、その辺の演出としての詰めの甘さがにじみ出ている感じでもある。
とはいえ、これを殊更に批判したくない気持ちもあるし、映画ファンが今作に好意をよせるのも何となくだが分る。何かワイティテイ監督の人柄の良さが感じる作品でもあるからだ。
そんなわけで (?)自分の感情を「それはそれ!これはこれ!」の精神で置くと、この映画は批評的というよりも内容どおり愛される作品と見るべきなのかも。
とまぁ、自分の感想も緩くなるのでした 〇!(まる!) 。
JOJO RABBIT | Official Trailer [HD] | FOX Searchlight