えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

キング・コング (2005)

お題「ゆっくり見たい映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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www.imdb.com

 

今日のポエム

破滅に向かうもの

 

 

映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!

  

そして、キーワードは。

 

愛だねぇ!

 

今回はネタバレチョコッとありの解説モード。

 

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(C)2021WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. & LEGENDARY PICTURES PRODUCTIONS LLC.

悲しくなんかないやい!

 

5月公開の予定だったが延期の告知がなされた『ゴジラvsコング』。そのショックに軽いダメージを受けながらの「勝手にキングコング特集」四回目は『ロード・オブ・ザ・リングシリーズ』で世間に名を知らしめたピーター・ジャクソン監督の『キングコング』だ。

 

物語は1930年代世界恐慌化のニューヨーク。落ち目のプロデューサー兼映画監督のカール・デナムは失地回復ため、どこかで手に入れた髑髏島の地図でロケを行う。そして失業した喜劇役者アン・ダロウを見つけ、戯曲者ジャック・ドリスコルを騙して船に乗せて向かうが、そこにはあのキング・コングがいて……の流れになっている。

 

この映画の特徴は二つ。あのコングを最新のVFXで描く事と、怪獣という映画芸術のメインストリームから外れているジャンルをメインストリームにする。

 

前者はすぐに分かるので後者だけ語ると、ズバリ『キング・コング』を格調高く描く!

 

だから本作は長い。やたらと長い!上映時間3時間8分!!

 

アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019) の3時間1分より長い。

 

もちろん、長ければ格調高くなるわけでもないがジャクソン監督が狙ったのは、作中で引用しているジョセフ・コンラッド『闇の奥』から察すると「狂喜に落ちて破滅してゆく者たち」をやりたかったのてはないかと自分は考えているからだ。

 

F・コッポラ監督『地獄の黙示録』(1979) の翻案で名を知られているコンラッドの『闇の奥』は難解な物語として評価されている。それでもこれがどうやら明らかに植民地時代を舞台にした、近代的西洋文明が非近代的非西洋文明と対峙するドラマである事なのは何となくだが分る。もっと端的に言えば、「宗教(キリスト教)的な精神的束縛から解き放たれた近代という光の時代に生み出された新たな影(闇) を描いている」とも。この時代辺りから伝奇や怪奇から分離してジャンルとして独立したミステリーやSFが誕生してもいるからだ。束縛から逃れたと思ったら、新たなる苦悩が人に纏わりついたわけだ。

 

そんな作品をジャクソン監督はどう解釈したのかと……

 

「マーロウ(主人公)はなぜ戻らず、川を登るのかな?」

「心の声が誘うのだ 危険だと分かっていながら先に何があるのかを知りたくて 恐るべきものを倒すため。我々には到底理解できない」

 キング・コング より 

 

破滅が分っていていても、そこに向かうのは近代的な文明がもたらした(知的) 向学心・好奇心が生み出した「狂気」に取り憑かれているからだ。

 

本作でその「狂気」に取り憑かれている人物はジャック・ブラック演じるデナムであるのは間違いない。

 

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キング・コング

彼こそが『闇の奥』におけるマーロウだ。つまりドラマを引っ張るのはこの人物であり、狂言回しでもあり、その他はそれに振り回される役割を与えられている。

 

さて、ここまでなら映画ではよくある展開なのだが、本作はコングとアンとの出会いあたりで音楽で言うところの転調する。

 

ナオミ・ワッツ演じるアン・ダロウは闇に対峙する光の象徴となる。

 

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キング・コング

逆になるのだ。闇の王たるコングが光に魅入られ引きずり込まれてゆくのだ。

 

このコングが過去の作品と違うのは、「金髪の美女を好きになる」のではなくて、「金髪の美女から醸し出されている文明に惹かれ」、そして破滅してゆくのだ。 

 

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キング・コング

闇(未開)の王が光(文明)によって自滅してゆく様を本作では描く。

 

そして、それは本作の大事な抑えどころでもある。作中で孤独で悲しげなコングにアンが芸人としてのパフォーマンスをして慰めるのだが、そこから本作のヒロインが、どうして女優ではなく喜劇役者なのかが分り、ジャクソン監督の意図も分かる。

 

笑い=文明の公式なのだ。笑いとは理性や知性のバリエーションのひとつであり、文明の成熟を示す尺度でもあり、だから未開では成り立ちにくいモノだからだ。

 

コングは金髪美女だからヒロインにこだわるのではなく彼女に、自分にはない、文明の香り。を感じて、そこにこだわるのである。そしてあの最後を迎える。

  

つまり、デナムとコングは対称性として描かれている。闇に魅入られて「狂気」に陥るデナムと、光に魅入られて「狂気」陥るコング。

 

そして、両者は破滅する。『闇の奥』が使われたのは、それを鮮明にするための軸なのだ。これが本作の格調の高さだ。

 

しかし、そこで頭をもたげてくるのは「怪獣映画にそれ必要?」な疑問だろう。それに対する答えは「ジャクソン監督がそうしたかったから!」しかない。

 

だから、ジャンル映画をメインストリームに載せるために、そんな設定&展開になった。結果として宗教的悲劇『サムソンとデリラ』を思い起こさせるような重層で壮大な悲劇として出来上がったのがジャクソン版『キング・コング』だ。

 

その目論見は見事に成功して、批評サイト ロッテントマトでは批評家の評価は高いが一般はあまり高くないという感じになっている。

 

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King Kong (2005) - Rotten Tomatoes

 

だから、個人として最初に観た時は、その高さにあてられて辟易した。のも確か。

 

しかし、歳を重ねるに連れ、それにある種の優しい感情が湧いてもいる。それはまるで若い頃はイチャイチャするカップルに「ケッ!」と吐き捨てていた人が歳をとって、今それ等を見ても暖かい気持ちで眺める事ができる。みたいなだ。

 

今はそんな感じです。

 

VOD&DVDで鑑賞。

 


www.youtube.com

 

 

  

キング・コング

キング・コング

  • 発売日: 2005/12/21
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

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