えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

<ネタバレ>『クリード チャンプを継ぐ男』を楽しく観る二つの要素

ここでは『クリード チャンプを継ぐ男』を『クリード』として表記します。[敬称略]

ここでは以下の記事を補間するかたちになっております。
<ネタバレ>『クリード チャンプを継ぐ男』脳内ポイズンベリー風レヴュー 島本〇彦風味

 

クリード チャンプを継ぐ男 : 作品情報 - 映画.com


 アドニスクリード

シングルマザー論争 - 平尾桂子の研究室 
アフ系アメ人 | 本当のアメリカ - ガイドブックでは紹介されないアメリカ - 

アドニスに感情移入できない人の原因はおそらく主人公のアドニスがいわゆるリア充だからかもしれない。しかし自分の考えすぎかもしれないが、これが『クリード』の裏テーマではないかと。「エリートで将来を約束されたアドニスが底辺からのスポーツで生きてゆく」これは黒人だけではなくあらゆる人種に表れつつある新たな階層のモヤモヤ感をロッキーの神話で一つにしよういう意思表示ではないかと。『クリード』でランニングするアドニスの後にスラム街の黒人達がバイクで応援するシーンが - 『ロッキー2』 (1979) を連想させるシーンでもある。 - それを象徴している。


〇 コンラン戦

ボクシングのマッチメイクとファイトマネー、誰が決めるの? - YAHOO ! 知恵袋 
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この映画での要は「アドニスが公式二回目で世界タイトル戦に挑めるのか?」問題だろう。そこにリアリティを感じられなければ、この映画を楽しく観ることは難しいかもしれない。確かに理屈ではマッチメイクは組めるし、話題性も充分にあるからビジネスとしても申し分ない。しかもチャンピオンのコンランは行動に問題ありの男だ。作劇からみれば “お膳立て” はそろっている。それでもしっくりこない者もいるだろう。しかし、ドラマからみればこの展開は正しい。全体的にはロッキーオマージュを散りばめながら『ロッキー』 (1976) と『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)を思わせる展開から見えてくるのは、この『クリード』と『ロッキー』のテーマが同じだからだ。

それは「自分の境遇は自分で乗り越える」である。










 

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