ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][加筆修正有]
自分が良く使う言い回しで「観る人を選ぶ」があるが、これは見かけとは違ってテーマがズレているいるにも関わらず、それを(作中で強引にでも)修正せずにそのまま描写してしまう唐突感がある作品に使っている。最近だと『エイリアン: コヴェナント』がそれに当る。
ちなみに自分は「何々の知識があったら、もっと(その映画)楽しめた」にもそんなに気にするな。みたいな言い回しもする。何故なら観ている者にそんな気持ちにさせる映画はすでに、あなたの心を捉えているから。だ。その映画に感動した証拠だ。乱暴な言い方になるが『ちはやふる』を観て競技かるたや百人一首に興味が湧いても『バットマン vs スーパーマン』を観てDCコミックスに興味は湧かないのと同じだ。
本題に戻ると。それでは、逆に多くの人がよく知らない、分からない情報や概念を直接は説明しないで感じさせるにはどう工夫したら良いのか?その二つを『エルネスト』では名前なら聞き覚えのあるがピンとこないキューバ(ラテン・アメリカ)現代史とチェ・ゲバラの思想を日本のある場所と主役を演じる俳優を絡めて使って描いている。
それで、この映画で描かれる大国に翻弄された小国とそこに生きていた青年のドラマに感情移入の幅が出来上がった。
不勉強ながらフレディ前村の事はこの映画ではじめて知ったし原作は読んだことはない自分がここではそれをネタバレギリギリで感想を書いてみたいと思います。
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メッセージはストレートだ。というよりも予告ですでに提示されている。「憎しみから始まる戦いは勝てない」「見果てぬ夢を見て、何が悪い」のふたつの台詞から、すぐに察することができる。それに近い概念は「志(ココロザシ)」だ。
これは一人の青年がラテンアメリカの現状とゲバラやカストロとの出会いを通して自身の内なる志に目覚めて、それに殉じるドラマだ。とてもシンプルだ。
実は、予告のある場所の事は本編では直接には関係が無い。無いが、これが観ている人が無名のフレディ前村に誘うエピソードになっており、冒頭のゲバラの「そのとおりだ」の言葉、そして前述の台詞「憎しみから……」に繋がる。そこからゲバラの思想と彼の志を形づくっている部分に日本が関係があることを(映画では)暗に示す描写をしている。
日本からみると、これは志士だ。この映画ではゲバラの思想「新しい人間」 を志士に見立てることによって描いている。
だから日本からキューバだ。敗戦と革命のロマンチシズムがまだギリギリで通用するからだ。そしてフレディ前村の「純粋さ」を日本の観客に印象づける描写には必要だ。
その上で見知らぬ地の出来事を情報ではなく観てる者の「心に入り込む」工夫をしている。それは外国人俳優の中で日本人俳優として一身で引き受けている俳優オダギリジョーの演技だ。日本人は彼を通して見知らぬ地のドラマを観ている。
逆にいえばフレディ前村を演じる俳優が外国人なら、こんな構造にはならなかっただろうし、なってもチグハグ感がありすぎる印象が強くなっていただろう。
これは「新しい人間」になった、ひとりの志士がどうゆう生涯だったか。そして彼の「志」の行方を描いた映画だ。
だから、観る前は必ずしも、そういった知識や情報は必要は無い。そこを感情移入のフックにして、そこから感動や共感、共鳴した者がキューバ(ラテンアメリカ)現代史やゲバラの思想に興味をもてば良いだけだ。そうゆう構造だ。
繰り返しになるが、この映画に難しいところは無い。これもエンタメ映画だ。
余談:観終わって自分が思い出すのは、ウォルター・サレス監督の『モーターサイクル・ダイアリーズ 』だった。これも医学生だったゲバラが友人と南米を旅することで、その現状を知り、志を立てるドラマだ。多分、映画化のとき阪本監督も意識していたのかもしれない。

チェ・ゲバラと共に戦ったある日系二世の生涯~革命に生きた侍~
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