ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
杉山周吉は妻・喜久子の駆け落ちで、男手一つで二人の娘を育ててきた。ある日、姉である孝子が夫との折り合いが悪くて幼い娘を連れて実家に戻ってくる。妹の明子は遊び人とのつきあいで、その中の一人である木村の子を身籠ってしまう。子供は中絶するが、そうなった原因として、自分は周吉の娘ではないかと疑い、遊び人のたまり場になっている雀荘が去っていた母・喜久子であることを知り、「自分は周吉との子供」なのかと喜久子に問い詰めるが……。
小津さんの場合、『鏡獅子』(35) という六代目の歌舞伎の名優の記録映画を作った時に本人に観せたら「俺はこんなに拙いことをやっているのか」と言われて、小津さんはがっくりとくるんだけど、歌舞伎の役者のふり、つまり動きは向う正面に向かって全て演出されているわけだね、だから正面の観客に向かって一番格好いい動きを見せる。ところが小津さんはこれをキャメラで横からとってるんだよ。記録映画の視点、解釈で撮ってたんだとおもうけど、どんなに素晴らしいアクションもアングルがかわるとつまらないものになると。それでこの経験以来小津さんはあの正面からのスタイル、つまり演出のアングルは一つしかないという方向に行ったんだと思う。
「ゴダールについて書いたから、流れとして小津安二郎についても書かなければいけないな」。という謎の義務感により、久しぶりに小津作品を観直したのだが、気が重い。
小津映画を語ることは難しい。難解なのでなく、一見スラスラと観れてしまうので、いざ感想を書く段階になると感想が小並感しかないところだ。つまり「喪失感」とか「寂寥感」とか「前衛」とか「日本人の心」とか等々、もう月並みな感想しか湧かない。そうゆうところだ。
なのに画のつくりは独自どころか孤高というべきモノなので、日本のみならず世界中にファンがいて研究の類も多くある。だから、これから自分が書く小津映画の魅力についても、世界のどこかできっと存在すると断言できる。だから似たのがあってもパクリとかで非難しないでくれ!
言い訳はここで終わって本題に入る。語るべきことは多くあるが、ここではポイントを二つに絞って進行する。
一つ目は、その特異すぎる撮影手法だろう。オーバーラップ、フェードイン/アウトを使わない編集、パンなどの移動ショットは使わない、目線を合わせない芝居。そして、やっぱりローアングル(ローポジション)の撮影だ。通常の撮影手法のほとんどを否定している。反逆児といってもよい。が、それを一言で表すことができる。能楽だ。小津は能楽に見立てて映画を撮っている。
もっとも、これを指摘したのは自分ではなく、昭和ゴジラの特技監督だった中野昭慶であり、その受け売りになる。-- そして歌舞伎ではなく能だと思ったのは次に書く。
だが、それを受け入れれば、あの特異な撮影のほとんどを説明できる。能舞台でオーバーラップ、フェードイン/アウトは使わないし、移動ショットもない、目線を合わせない芝居をしても不自然ではない。もちろんローアングルは観客からの視点になる。スクリーンサイズもスタンダードにこだわったのもそんなところかもしれない。歌舞伎ではなく能なのは、前者はワイドに対して後者はスタンダードであるからだ。それに二つ目に繋がる。
二つ目は、奥行きのある画だ。例えば車中撮影で当時定番だったスクリーン・プロセスの技法を小津は使わなかった。流れる背景はスクリーンのため奥行きが感じられない。だから実際に道路に走らせて -- トラックに自動車のボディを乗せて撮影した。-- くらいに奥行きのある画にこだわった。
だから、コップに注がれている液体の高さとか、手の位置などがバラバラだと、奥行きがなくなってしまうから高さや位置に執着するのは当然だ。そしてそれはワイドよりもスタンダードサイズのスクリーンにより良く映える。
よく見る『晩春』での壺の意味をめぐっての論争も自分からすれば「奥行きのある画を作りたかったからそこに壺を置いた」だけだ。手前に柱が映っているのもそのためだ。
あえてもっとつまらない事をいえば、あのショットは間を繋ぐだけのモノで意味はない。だからソレに「美」を、個人的な美意識だけの存在にある種の意味をみるのは無意味でしかない。ただ差し出されたそれを愛でるだけでよい。
そして「能舞台と奥行き」その二つの美で、小津がめざしたものは彼自身が言っている。「もののあはれ」だ。
「もののあわれ」とは物(ここでは事象を指し必ずしも物体とは限らない)と人の感情が触れ合うと同時に生まれてそして喪失してゆく美感のことだ。それを掬い取ってそれへと昇華する。これが小津安二郎が考える・描くドラマだ。
しかし、自分と同じ普通の人々は物語による段取り(プロット)から構成されるカタルシスをドラマと云うのであり、小津の考えていたドラマとはあまりにも違う。
こうしたドラマの解釈の祖語が、モロに表れているのが『東京暮色』だ。かなり雑に言えば、この作品にはカタルシスとして昇華されるべきモノが無い。これが、例えばあの名作『東京物語』なら観客が当時の背景にあった東京への一極化、その後にくる高度経済成長等々を補助線にして「何かが壊れる瞬間」をカタルシスを昇華させることもできたが『東京暮色』はそれもできない。
もう少し具体的に書くと『東京物語』では「何かが壊れる瞬間」はシーンとして描かれてはいる。
しかし『東京暮色』では、そんなシーンは無い。つまりあの人々は最初からバラバラであり、「壊れて」いるのだ。
しかし、小津が考えるドラマからすれば、そんな人々を擦過させるだけでそれらは成り喪失して、キチンと「もののあはれ」として表現されて美へと昇華されている。少なくとも小津はそう信じている。彼の美意識だからだ。
だが繰り返しになるが、多くの者は物語の段取りを見ることで心を動かすのであり、画面だけでそれが分るはずでもなく、ましてや「もののあはれ」など感じるはずもない。
この祖語が同年のキネマ旬報日本映画ランキングで19位として評価されて、自信作だったにもかかわらず、世間では「失敗作」とみなされ、小津は自嘲気味に「何たって19位の監督だからね」と言わせた。
かくゆう自分も小津監督作品を観続けたから、今回の結論になるのであり、一作二作程度では、こうゆう考えには至らないのも確かだ。もしも、あの時にこの映画が評価されていたら小津はこの路線を続け、現在の評価までも変える事になっていたのかもしれない。しかし、そうはならなかった。
とにかく、『東京暮色』の失敗で小津はこの路線を捨てて、いわゆる本来である松竹の路線へと題材を選びそのスタイルだけを洗練させ、それは『秋日和』で頂点を極める事になる。
そうゆう意味では小津がやろうとしていた事を認めてもらえなかった、この映画は別の「悲しさ」も含んでいる。
参考
小津安二郎 新発見 松竹編