ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
あるブリーフケースを盗むよう謎の女性から指令を受け、東京発京都行の高速列車に乗り込んだ殺し屋・レディバグ(ブラッド・ピット)。ブリーフケースを奪って降りるだけの簡単な任務のはずだったが、疾走する車内で次々に殺し屋たちと遭遇してしまう。襲い掛かってくる彼らと訳も分からぬまま死闘を繰り広げる中、次第に殺し屋たちとの過去の因縁が浮かび上がってくる。
シネマトゥデイより引用
今回はネタバレなしの解説モード
列車映画に駄作なし!
前にも同じような事をいったが気にするな!
列車は潜水艦と同じ限定した空間で起きる駆け引きが巧くゆけば面白さは担保されているからな!
でもまぁ、今回に限っては妙ににょもる。
だってさぁ、演出がガイ・リッチーぽいんだもの。
リッチーは数あるタランティーノフォロワーの中で最も成功した作り手かも知れない。
あ、もちろんタランティーノとは、あのクエンティン・タランティーノです。
自分の見立てだと、初期タランティーノがやったのは『レザボア・ドッグス』のバイオレンスとギャグの融合で、後のそれ系作品に影響を与えているし、さらに『パルプ・フィクション』での時系列ではなく初期のヒップホップDJのような感覚で時間をスクラッチして、それがエモさにつながるセンスの良さが評価されたところがあるし、自分もそう思っている。
そして、リッチー作品はキャラの背景・感情を語るためにやたらと時間軸を動かす。
それでも『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』はリッチーらしさがあったとは思うが、『スナッチ』-- そーいや、あれにも出演していたなブラピ -- 以降は本当にタランティーノフォロワーな感じで独自性があまり感じられないのよ。自分は。
さらに、リッチー作品の場合。「オフビートだろ」とか「クールだろとか」とか強い自己主張が見えてしまって、超苦手。
ハッキリ言ってウザい。(ついにやっちまった)
釘指すと、タランティーノだってアラン・ロブ=グリエのフォロワーじゃねえか。のツッコミはなしね。
アラン・ロブ=グリエは自分でググリえ。去年マリエンバード!(ダジャレ)
でも、本作を観てしまうと、リッチー結構センスがあったんだな……。と感じしまったわ。
何か日本の下手なタランティーノフォロワーみたいだった。(ついにやっちまった その2)
ハリウッドなのでお金はかかってはいるが、本質としてはまったくもって同じ。
スカした表現が新しい事だと勘違いしているからなアヤツ等は。(いきなり昨今邦画批判)
正直、本作はそれらと同じスタイリッシュな上っ面だけを取り入れて本質としてのドラマとして組み込んでこないから巧くない。だから中弛み感がどうしてもしてしまう。
いままでゴメンねリッチー。
ちなみに本作の監督はデビッド・リーチ。
セイ、ユ―・セイ、ミーはライオネル・リッチー。(ワルノリで言ってみた)
そして、ニッポンの風景もポップカルチャー視点のジャパネスク風というか、やっぱり『キル・ビル VOL.1』のビジュアルぽくって、ここでもタランティーノなの。
そう、何から何までタランティーノづくし。タランティーノ盛りの映画がコレ。
でも、そうゆうニッポンも正直飽きた。去年『GIジョー:漆黒のスネークアイズ』もあったしな。
それになんせ原作の伊坂幸太郎が、どーもタランティーノフォロワーみたいで、その雰囲気 (一発で変換できた!な。←懷いツッコミ) がある。
伊坂の書籍は2冊しか読んだ者だがな。(暴論)
でも、だからか、劣化タランティーノの枠内にスッポリ収まって何か「これぞ!」というウリとか新鮮さが本作からは見えてこない。つーか感じられなかったのよ。
逆にタランティーノが黒澤や小津やゴダールやタルコフスキーやキューブリック等と同じ存在になったのを確信しただけ、本当にそれだけだった。
お前は結局は何が言いたいのとか考えないでくれ。
文章を読めばわかるだろ。な!
劇場で鑑賞。