ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
見事に綺麗にたたむ
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして、キーワードは。
キューブリックアプローチ!
今回はネタバレスレスレの絶賛誉めモード。
なんて美しい映画なんだ!
ハイ、感想がこれっす。
山内マリコの同名小説を映画化した本作については、今回は物語は語らないし、ドラマはコーだとか、メッセージはコレかも?とかも語るつもりは無い。多分それは他の皆と同じだから。
今回はただ、その美しさだけを褒めたい。
そして、その美しさとは映画監督スタンリー・キューブリック作品の特徴である、左右対称性(一点透視図法)にこだわった画づくりをしているところだ。(画像はIMDb)
キューブリックがそうした画づくりを意識しているのは、もちろん無神論者でもあった彼の美意識だったのだろうが、そうした画を作品内に巧く入れてゆくことでサスペンスを生んでいたことも確かだ。
そして本作でも、そのアプローチが取られている。
つまり、これで本作に適度な緊張感(サスペンス) が生まれて、映画のリーディング(物語りを読み進める感覚)として機能しているからだ。
そして、作品内を章を立てて進行してゆくのはまさにキューブリックアプローチである。
ちなみにキューブリックアプローチは今この場で作った、オレ σ(゚∀゚ )オレ 造語だ。
とはいえ、そうしたアプローチは本作だけではなく他にもある。例えば『女王陛下のお気に入り』(2018)のヨルゴス・ランティモス作品とかもそれだ。だから珍しいことでもない。
ところが、本作はそこに小津安二郎の美意識や北野武の感覚を不意に入れてくるのだ。(画像はIMDb)
キューブリックの世界観に突如に挿入される小津と北野の美観から生まれるサスペンスとリーディングの転調がたまらなくいい。すごくいい!
そしてラストショットで、それまで左右対称だったのを綺麗にたたんでみせるのだ!
お見事!と云うしかないではないかコレは。
これで、画だけではなく、本作そのものが美しい。という構造が出来上がったと言っても良い。
もっとも、こうしたアプローチを撮ったのは、本作を撮った岨手由貴子監督の美意識もあるのだろうが、おそらくは原作がそうさせたのかもしれない。それを本作で示すと、つまり……
門脇麦、石橋静河(とある階層) ← 高良健吾(超貴族) → 水原希子、山下リオ(外部)
という高良健吾を中心とした物語構図が構築されているので、なので左右対称を意識したつくりにしたのだろう。もちろんそれは階級の違いを示しつつも、両方に同じに存在する抑圧の構造を見据えているのは間違いない。
そうした原作の雰囲気を映画に変換させてみせたのが本作だ。
劇場で鑑賞。