ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
その美しさは空。
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして今回のキーワードは
〇〇が無い!
今回はチョットネタバレがあり。
今回はテレビアニメ、劇場公開された『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』全般について書きますが、便宜上ここではテレビアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』をテレビ。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -- 永遠と自動手記人形』を『外伝』。『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を『劇場版』と呼称します。
本作『劇場版』はかつて放送れていたテレビと『外伝』をへての続編であり完結編となっている。そして、キャラクターデザインに違和感&拒否感がなければ、この『劇場版』だけ観ても、そこそこ楽しめるようにはなってはいるので、一見さんお断りのファン向け映画ではない。
物語は欧州風だが、架空の世界を舞台に手紙の代筆業を営む主人公の少女が、かつて戦争で共に戦って、今は行方不明となっている中佐の生存を想いながらも、様々な代筆をしてゆくうちに、成長してゆく流れになっている。ようするに架空の戦争を使った純愛ドラマだ。
そして、そのドラマはテレビだと「そこに相手がいなくても、その想いはあなたにきっと届く」だった。のに対して『劇場版』では、ある病気に罹った子供のエピソードを挿入することで「そこに相手がいるのなら気持ちは必ず伝えなければ後悔する」にドラマがシフトチェンジしている。その中間的位置に『外伝』が挟まっているので『劇場版』の落しどころは、いきなりではなくて前々から計算に入れて作っていったフシがある。
でも、テレビと『外伝』と『劇場版』はそれほど感動しなかった。
もう少し付け加えると、感心はしたけど感動まではしなかった。
基本、自分はSF映画の住人だし、それにフィクションについては「泣ける作品は簡単には褒めない」というマインドセットを課しているので、感想が辛めになるのは当然だが、それだけではなくて、そのバックボーンが捉えられなかったからだ。
早い話、あそこで描かれている戦争が分からない。
ここでは王族、庶民、インテリ、軍人、敵兵に至るまで「善き人」として描かれていて「悪い人」がいないのだが、そうしたらそんな「善き人」たちが、どうしてあの不幸な戦争への道へと向かったのかが分からないし、ピンとこない。この作品はイラストが動いているかの様な美麗な作画・動画が一番の見所だが、それが細やかになればなるほど、その舞台背景がぼやけてしまう、という反比例な現象がここでは起こっているのだ。これが、純然たるSFかファンタジーなら、そうゆう切り替えをして楽しむことができたのだが、それができない。
「公式HPが」とか「原作では」とかの反論は意味が無い。何故なら作品ではその部分が描かれていないから。描かれていない。という事は、やらなかったと、同じ事だから。
だけど、もう少し具体的に付け加えると、戦争で起こった「哀しみ」はあるが、登場人物たちの、あの戦争に対する「憎しみ」や「怒り」が分からないと言ってもよい。それをやれば、薄ボンヤリでも、そこでの戦争の輪郭らしきモノは感じたのかもしれないが、それは無い。
ちなみに、「愚かさ」はテレビの方ではチョコッと描かれている。敗戦国の残党が和平交渉を防ぐためのテロを起こしているからだ。ただし、そのキャラ設定も他のと比べてステレオタイプがまるわかりで、観ている人には共感できないつくりになっている。ぶっちゃけ主人公を活躍させるために登場させた印象が強い。
舞台になっているのが実在した事柄なら、その情報から推論もできるが、ここでは第一次世界大戦をモデル -- 第一次世界大戦そのものでは無い -- らしい架空の戦争なので、薄ボンヤリな輪郭も作れない。またリアルを無視したぶっ飛んだファンタジーなら、「そうゆうもんかと」と心を切り替えてみることもできたのかもしれないが、ここではキャラクターの描写と架空の舞台との絡みがドラマとしては重要な要素になっているのでそうもゆかない。
それに、あの架空世界の技術水準が曖昧だ。主人公ヴァイオレットは戦争で両腕を失った傷痍兵なのだが、第一次世界大戦をモデルにしているのに、あてがわれている義手はタイプライターが使えるくらいにその時代には不釣り合いなくらいに高性能で、しかも作画に光の照り返しを入れてくるので、気味の悪さよりも耽美な美しささえ感じてしまうところが、また舞台の背景をさらにボヤけさせてゆくのを加速している。
そう、画も内容も美しすぎてドラマに必要な陰と陽の部分である陰が物足りない。
そこまでで、「お前は、どうしてそこに拘るのか?」の疑問が誰もが浮かぶだろうが、その答えというよりも、そこからの流れから、作り手の「その設定にすれば、観ている人が泣いてくれるから」に行き着くのは当然だろう。
「アニメだから」とか、「それの何が悪い?」の感情が湧くのは自然だし、それには反論することができないのだが、それでも、上記の印象はぬぐえない。つまりこの部分はアニメやマンガとしてのお約束の記号に頼り切りな演出だとも考えてしまう。
だから結果として中が空虚になっている。そしてその空虚さを外側から美しく装飾されているのが『外伝』までの感想だ。
そうなのだが、『劇場版』では前述した、ちょっとした変更にしたおかげなのだろうが、その変更が単純に戦争を題材にしたラブロマンスに切り替わってはいる。だから、『劇場版』はそれなりに観やすい。
しかし、その内容と展開と演出は古式的描写にのっとったメロドラマなので、そうゆうのをテレビやマンガ等々などで散々と観てきた自分としては新鮮さを感じず正直いってツライ。一周回ってこれをはじめて見た人には逆に新鮮な感動を与えているのかもしれないが、自分にはそれがあり過ぎて感動しないのは確かだ。
だから、ここではまた別の空虚が存在する。なのでようするにこの二つの感想になる。
〇 『外伝』は背景となる戦争がよく分からないので純粋に楽しめない。
〇 『劇場版』は恋愛ドラマが古すぎて感動しにくい。
以上だ。
京都アニメーションの作画・動画・画面構成にしか面白さを感じなかったのが正直な感想だ。
劇場で鑑賞。
『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』本予告 2020年9月18日(金)公開