えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

最近観た『シビル・ウォー アメリカ最後の日』

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

注:今回は核心に迫る内容については言及していませんが、純粋に楽しみたい方には読まない事をお勧めいたします。

 

 

監督めっちゃ怒っている。

 

そして本作では、その怒りが映画全体に張り巡らせて緊張感が一種のトーンとなっている。

 

内容は、テキサス州カリフォルニア州が組んで国境警備隊(州兵)をワシントンD.C.へ進軍。そこを守る連邦軍と戦闘に入り国内は内戦状態となる中、主人公のベテラン戦場カメラマンの女性と通信社の男性と老記者、そしてあるきっかけで知り合った主人公と同じ戦場カメラマンを目指す若き女性の四人がニューヨークからソコに向かうが、それは今までのアメリカには無かった変様した光景だった……な流れ。

 

さて当初は、共和党支持のテキサス州民主党支持のカリフォルニア州が手を組んで内戦を起こすという前情報は知っていたので、最初はなぜ?の嵐だった。(おニャン子風)

 

でも、その目的が、合衆国憲法を改正して3期目に入りFBIの解体も目論んでいる大統領を倒す事と聞いてすぐにピンときた。

 

こいつのモデルはドナルド・トランプじゃねーか。

 

前こと第45代アメリカ大統領だったトランプは3期目も留まる事もFBIの権限を縮小させる事もかつて公言していた人物。

 

そして、党派の違いはあれど、医療の方向では元バラク・オバマ大統領(民主党)と同じ政策を先に打ち出していたジョージ・W・ブッシュ元大統領(共和党)は後にアフガン難民支援のためビル・クリントン元大統領とも3者で組んだ過去を持つ。

 

つまり3人は親交を結んでいる。

 

またブッシュ元大統領はトランプを批判を公言している。彼の主張はアメリ保守本流である共和党から見れば決して相容れてはならない差別的内容が濃厚に含まれているからだ。しかしながら、現在の共和党はかつての保守政党ではなく彼に逆らえないトランプの言いなりな党になっている。

 

だから、左どころか右も反トランプな状況。

 

そしてブッシュは元カリフォルニア州知事も務めた。要するにコネクションもある。

 

ピースは埋まった。

 

だから、そんな事が起こればそうなるかも。な、コノ連合は決して絵空事ではないリアリティがある。

 

それでは、本作のドラマ、分断が右左の違いでなければ、何が分断を起こしているのかになる。

 

自分の見立ては、ポピュリズムVS反ポピュリズムになる。

 

ポピュリズムとは既存の権力構造やそれを支配するエリートによる政治に対する不満を任意の者が国民を先導して変えてゆく事で、それが従来の体制とどう違うといえば、健全な民主主義とはそこに少数派を尊重する姿勢残すのに対してポピュリズムは多数派の意見を尊重するので、どうしたって極端な排外主義になる。

 

もちろん、クライマックス前のアヤツの話だ。

 

現在のポピュリズムに協調とか融和とかの考えはない。

 

現実の情勢としても、インドやハンガリー等々、一見民主主義の形態をとっているポピュリズム政権は存在するので、アメリカがそのように陥る可能性も大いにあるのでリアルな危機だ。

 

さらに付け加えると本作ではポピュリズムと反ポピュリズムが戦っている状況で民主主義国家の理念・イデオロギーが崩壊しているので、日本で云えば応仁の乱や戦国時代の様相になって、いわゆるコミュニティによって風景が違う。-- 劇中、米ドルではなく、カナダドルで買うのはそうゆう意味。

 

だから、彼等が道行き見るのは「統治能力を失った国」の姿なのだ。

 

監督としては各国々起こった起きている紛争状態をアメリカに置き換えたらコウなるかも、だろう。

 

とまぁ、今回は、どちらかとゆうと誉めモードなのだが、二箇所だけどうも気になったところがある。

 

はじめは、オープニングの引きの弱さだ。冒頭から諸悪の根源が現れて演説するのだけどもコレがまったくカリスマ性が弱くて正直にいって邪魔。これならNYの騒乱からはじめていた方がインパクトはあったし、最後の言葉の余韻(酷さ)が強くなる。

 

ふたつめは、主人公の女性カメラマンは戦場・紛争を渡り歩いたベテランという設定だが、寄る年波には勝てずに心が弱っているのだが、そこに若くて無鉄砲なところがある新人にアレコレとレクチャーしてゆく姿は、どう見てもかつては強かったが、今や老境に入ったロートルが、素質はあるが危なかしいところがある若者に自分の得た経験を教えてゆく展開は、昔からある西部劇や戦争モノなどの作劇そのもので、どうも作り物に感じて自分にはノイズになった。

 

監督としては、このクソッタレな状況で希望を残したかったのは分かるのだけども。

 

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あと、本作が面白く観れるのは、現在この社会状況だからであって、これがおさまって、当事者が少なくなれば、かつて隆盛だったアメリカンニューシネマのように「何が面白かったのオジサン達?」になる可能性がある。まあ、アヤツとクライマックスくらいは後々まで語られるかもしれないが。

 

画像1

 

余談というよりも、付け加えておきたいのは、ポピュリズム政権が成立する状況はジャーナリズムが有効に機能していないことでもある。本作の場合、右左は関係なくエリートが行う政策と庶民との実感が噛み合っていないから、その不満から分断がはじまっているのは確かで、その両者の橋渡し役的存在がジャーナリズムなのだが、それが同じエリートかインテリにしか届かず庶民には届いていない響かない状態だからだ。-- 日本風に言えばマスゴミ

 

さっきは希望と書いたが、これは監督なりの発破がけかもしれない「しっかりしろ!」と。

 

劇場で鑑賞。

 

監督・脚本:アレックス・ガーランド
製作:アンドリュー・マクドナルド アロン・ライヒ グレゴリー・グッドマン
製作総指揮:ティモ・アルジランダー エリーサ・アルバレス
撮影:ロブ・ハーディ
美術:キャティ・マクシー
編集:ジェイク・ロバーツ
音楽:ベン・サリスベリー ジェフ・バーロウ

データ・画像は映画.comより

 

 

 

 

 

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