ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』予告編
まず、三池監督に謝らなくては。すいません、自分が思ってよりもジョジョでした!!
変更があったにも関わらず、映画の間は「何じゃこりゃ」と白ける場面は無かったし、ロケ地を海外にすることで荒木飛呂彦独自のキャラと様式に違和感を無くしたのは評価すべき。三池監督が『漂流街 THE HAZARD CITY』の冒頭でした、思考を向こう側へ追いやる埼玉県戸田市笹目メソッドのことを映画を観るまですっかり忘れていました。
『漂流街 THE HAZARD CITY』より
とはいえ、長いジョースター一族の物語の一部を映画にしたせいで、脚本上では何のフォローもないので、日本にそう多く存在するとは考えられないが、ジョジョを知らない人が観たら「何?」と感じる展開が二つ有る。そして、それが感動を途切れさせるところがある。DIOのアレや吉良のアレではないよ。
今回はその気づいたところを二つ書いてみます。
こちらもお願いします。
〇 仗助の頭が良い
ここでの頭が良い。は「物事を多く知っている」ではなく「機転が利く」なのだが、初登場のシーンで何を観ている者に印象づけるといえば。「髪のことを言われたらキレる」、「見た目に反してとっても良い奴」だろう。しかし、機転が利く描写はない。なのにアンジェロ戦では急にそれが利くようになっていて、 ーーその前にあるマヌケなことをして最悪なことになるのでさらに説得力はなくなる。ーー すべてのはじまり(そして元凶)であるジョースター卿の「逆に考えるんだ」スピリットを知っている者なら、この展開には納得するが、知らない者には面食らってしまう。
これは誰もが感じてしまう。二人のイチャつき(?)ぶりはその後の展開を考えるとユーモアとサスペンスとホラーとラブな魅力があるが、知らない者がみたら何かの布石か伏線と考えてしまうのは当然で、ラストがあの程度ならさすがに「盛り過ぎ」と考えるのは当然で、次作の引きでも良い印象は残さない。つけ加えるなら後半のバトルで康一のアレを登場させると「何か活躍するのか?」と想像するのが当然だが、ただのアレだと「オイオイ」と突っ込みたくなるのは当然といえば、当然。アレは孵らなかった方が良かったのでは?いくら次作の引きでも……以下省略。
以上の二つが脚本としての問題だ。ここまで出来たのなら、もう少し練っても良かったのではないかと思う。
あと一つつけ加えるなら、サウンドエフェクトにも気を配って欲しかった。荒木作品の魅力にコマから聞こえてきそうな重低音ギオォオォォン(擬音)なのだから、せめてスタンドが登場するシーンに重低音を利かせたサウンドをやってくれたらなぁ。無いモノねだりは百も承知だけども。
ジョジョの奇妙な冒険ダイヤモンドは砕けない第一章ビジュアルブック (愛蔵版コミックス)
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