ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
元禄十四年三月十四日早駕篭が“浅野内匠頭長矩は、吉良上野介に対し、場所がらもわきまえず、刃傷に及び不届につき、即刻切腹なり”の報を持って赤穂に向かった。三月十九日、赤穂に入ったお家断絶、ご領地お召し上げの報に、即刻城中で大評定が行なわれ、篭城、殉死、仇討、解散と話は続いた。そして大石内蔵助は、お家最後の評定に集まった家臣の者から覚悟の上の誓紙血判を集め、時節到来まで隠忍自重することを約し、ひとまず開城のむねを発表する。
映画.comより引用。
今回はネタバレありのおちゃらけ解説モード。
12月になりました。
12月といえば、クリスマ……
忠臣蔵!
日本人なら、
忠臣蔵!
と、強引に。本作をはじめて観たので、その感想を。
でも、個人的な話から入れば、忠臣蔵は超苦手な物語でドラマ。
だって泣きの世界なもので。ウェットがあり過ぎてあり過ぎてウェットに溺れてしまうのが忠臣蔵。なにせ、討ち入りという最終地点に至るまで、これでもか!これでもか!これでもか!と言うくらいに、泣きのドラマの連続つるべ撃ち。
500畳の畳替え、刃傷(にんじょう)松の廊下、田村邸の別れ、祇園一力茶屋、南部坂雪の別れ、泉岳寺への行進、等々、泣かせの数はハンパない。それに関わった人々の義士伝、外伝をふくめるともはや壮大な泣きのドラマと言ってもよい。
まさに、泣きのユニバース。
忠(T)臣(S)蔵(G)ユニバース
TSGU! (何故かリフレイン)
子供の頃、テレビで里見浩太朗の『忠臣蔵』を祖父と父に無理矢理に観せられて以来、げんなりしたおかげで(?)どーも本格は避けて、『元禄忠臣蔵』とか、『わんわん忠臣蔵』とか、『サラリーマン忠臣蔵』とか、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』とか、『ラストナイツ』とか、または『47 RONIN』とか『四十七人の刺客』とかの、癖のある変化球的な作品ばっかりに。
あ、ゴメン『決算!忠臣蔵』がまだだった。
だから本作も、さして興味が無かった。のだけども、敵方吉良に使えるを演じる渡瀬恒彦に妙に惹かれて観たら……
超クール!
ああ、これは早すぎたかも。
の感想が同時に。
泣きのドラマの固まりである忠臣蔵から、泣きの部分をすべて取り去って展開するので、本作の評価が当時ハードボイルド調などと言われたのも納得。
そして本作の一番のポイントは敵討ちの理由を「主君の無念を晴らす」ではなく、「不公平な裁きをした幕府に対する抗議」としたコト。
本作では、そのポイントのために武家の慣習法であった喧嘩両成敗に基づく裁きではなく、将軍綱吉による(本作では柳沢吉保が表に出ているが、本質としては同じ事)恣意的な裁きに対する抗議として討ち入りが描かれている。公開当時はこれは画期的だといえる。
もちろん当時からそれは、歴史オタクもとい、歴史好きには常識だったが、一般的には、まだまだ、主君の敵討ちの方を信じている層が多かったから、この解釈・展開は大胆だっただろう。
そのあたりをチョコっとだけフォローすると、時の将軍綱吉は儒教が定義した道徳概念である徳をもって世を治める文治政治を掲げていたから。ここでいう文治とは礼楽思想に基ずくものだが、早い話が儒教に基本にした教養と文化と芸術で世を治めようとしたこと。これはローマ帝国がキリスト教を国教にしたことで、その後の西欧への教養と文化と芸術の基盤を決定づけたのとほぼ同じ。だから、浅野内匠頭の松の廊下での刃傷沙汰は将軍に対する反逆として受け取るのは当然で、ぶっちゃけ即切腹は幕府が他の武家に対する見せしめを示した意味が濃い。
だけども武家から見れば、喧嘩両成敗は、法(近代的な人権に基づいたものではなく、封建的な両者の面目が保てる意味)による慣習みたいなところがあって、それを破るというのは権力が不当に弾圧していると考えても当然のことだと当時はまだ考えられていた。
その考えの隙間に起こったのが吉良家討ち入りになる。(画像はIMDb)
まだ日本がバブル経済前の時期でもあり、まだまだ古い感覚が残っていた時代に公開された本作は、ここから見ても当時としては革新的な作りだったといえる。そしてその後に経済を視点にした、堺屋太一『峠の群像』、討ち入りに参加しなかった浪士を書いた、井上ひさし『不忠臣蔵』、そして討ち入りを謀略戦として描いた発表当時話題となった、池宮影一郎『四十七人の刺客』などの先便をつけたと断言してもいいかもしれない。
まさに反体制を掲げる深作欣二だからこそできた作品。
でも綺麗にまとまっているわけでもなくて、外伝から橋本平左衛門のエピソードだけが無理に挿入されて、そこが異質に浮いている。人よっては作品のバランスを壊していると見てしまうかもしれない。-- このモチーフを深作監督は後年『忠臣蔵外伝 四谷怪談』でも使うのは映画好きなら誰でも知っているのは御存知のとおり。
日本語版wikipediaによれば、本作を撮った深作欣二は溝口健二の『元禄忠臣蔵』での脱落してゆく浪士等に感銘受けて、当初の企画として吉良を中心に物語とドラマを構想らしく、最初は吉良上野介役に萬屋(中村)錦之介を充てていたらしけど、錦之介が大石内蔵助を誇示して揉めた撮影状況だったらしい。多分橋本のエピは深作のこだわり部分の名残なのかも。
まぁ他者はどうであれ、自分の好みだったのは確か。
でも、東映らしくない不満も少しある。
自分の知っている東映なら、吉良上野介を打ち取った後、大石が単身江戸城に乗り込んで「お命頂戴仕る」とか叫んで将軍綱吉の首をスポポーンと切り落として、その頭を抱えながらユラユラと歩くのが当然あるかなかっと。(どこかで見たシーン)
東映って史実を無視して将軍を何度も殺しているのだから。
VODで鑑賞。