ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今回から別のブログで書いた記事をチョイチョイと再掲載してゆこうと思います。ちなみにこの文言はしばらくしたら消去します。
それでは。
劉慈欣(リュウジキン)の『三体』と『三体Ⅱ 暗黒森林』を読んだ。このシリーズは3部作で、この『暗黒森林』まではニ部作にあたる。
そこで、今回はその感想を書いてみたいと思う。
物語は第一部『三体』では中国のある科学者が宇宙に地球の情報を送ったがために、三つの恒星(太陽)からなる三体文明と接触するが、三体文明はその天体運動の不安定から帝国主義的な社会体制と滅びる運命にあったがために、新たな入植地を探していた、つまり侵略だ。
もちろん三体文明にも平和主義者がいて、地球にこれ以上情報を送ると位置が知られるから止めるように警告するが、三体文明の存在を知ってしまった人々の一部からは現在の地球の状況に絶望して三体文明に情報を送り、とうとう位置を特定されてしまう。
しかし、三体文明が地球に到達するのはおよそ450年かかる。それまでに地球が対抗できる科学技術を持たないように三体文明が打った手は智子(ソフォン)をつくり先に地球に送り込む。こうして三体文明は地球の知的生産性に手枷足枷をかけて450年後に地球に到達する予兆で終わる。これが、第一部『三体』の物語。
第二部『三体Ⅱ 暗黒森林』では三体文明に侵略されると知った地球がそれに対抗するために「面壁計画」なるものを考案して対抗しようとする。地球は宇宙軍を創設したにも関わらずあらゆる情報は智子によって監視されているために、三体文明と対抗できる具体的な作戦を立案することができない。そこで地球が考えたのは地球外生命体である三体文明と智子の弱点である「人類の思考を類推解釈することができない」のを利用して四人の人物を擁して彼らに来るべき時にやってくる三体文明の対抗策を彼らに託すること。もちろん、大きな裁量権を与えられてだ。面壁者である彼らは三体の侵攻を阻止することができるのか?その四人の人物プラス一人の宇宙軍将校の動向を描くのが第二部の物語になる。
この『三体』はハードSFと言われている。ハードSFについては、いつか詳しく書いてみたいが、簡単に言うと
ケース1:実験と観測によって根拠が確定されている概念で構成されたフィクション。
ケース2:未知の出来事をケース1の概念を基に演繹法的に導きだされたモデルによって構成されたフィクション。
このどれか、またはこの間を行ったり来たりして入ればハードSFと呼ぶべき作品になるが、『三体』シリーズはどちらかといえば、ケース1に属するハードSFだ。一見、智子の設定がケース2にあたりそうな気もするが、智子と『暗黒森林』に出てくる探査体の基は実在するクォークを結合させる核力、強い相互作用だし、陽子を11次元から2次元に展開するのは11次元の超紐理論が微分可能空間(微分可能なら線が引ける)だから数学としては可能だし、集積回路などは誰もが知っている使っている。そして三体文明と地球との交信は量子もつれを使うという、これもまた実験結果として実在するからだ。だから突拍子も無いところは無い。ただ、それを実現できる技術が存在しないだけだから。そして何よりもSFでありがちなケース2の科学、ワープという設定が無いので、ケース1よりになる。
そして、このシリーズの一番の売りである、宇宙社会学の二つの公理……
1.文明は生き残ることを最優先とする。
2.文明は成長し拡大するが、宇宙の総質量は一定である。
そこから導き出される現実はフェルミのパラドックスの暗い解釈になる。
フェルミのパラドックスとは、宇宙年齢の長さと宇宙にある膨大な恒星の数から、地球のような惑星が恒星系の中で形成されるならば、宇宙人は宇宙に広く存在しており、そのうちの数種は地球に到達しているべきはずだが、そうはなっていない矛盾をついた逸話だ。それについては多様な解釈があるが、劉慈欣が出した解釈は北斗の拳やマッドマックス並のヒャッハーなものだ。
その解釈と解決は『暗黒森林』最大の読みどころなので、核心を避けつつ語ると、それは文明維持のための壮大なかくれんぼであり、そしてそれを、すべての科学技術を監視する智子を掻い潜って、ある人物が仕掛けるのは、まるでナスカの地上絵が宇宙人に対するメッセージである。みたいな壮大なモノだ。これには唸った。
でも、少し邪推してしまうのは、やはりこれはギリシャ・ローマ文明に対する中華文明なりのやり反しではないかと考えてしまう。
でも、それを邪推だと思わせるくらいに面白い!
このシリーズは次作『三体III 死神永生』も楽しみだ。