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えいざつき ~映画と世情と日常と~

主に映画の思い出について書きますが。基本は自分の思った事をつまり妄言を書きます。

<ネタバレ>『スティーブ・ジョブズ』をたのしく観る二つの要素

劇場公開 小ネタ
注:ここでは事実より映画にそって展開します。[敬称略]

スティーブ・ジョブズ』を観ました。

  

スティーブ・ジョブズ : 作品情報 - 映画.com

三つのプレゼン前に展開されるこの映画。実は伝記映画のつくりにはなってはいない。つまり「事実をでき得る限り忠実に描く」いわゆる “写実的” ではなく「いくつか事実を取り出して強調して描く」という “象徴的” な描き方をしている。つまり「ウソのストーリーの中に事実を忍ばせて映画を進行させる」「ウソばかりではないが事実でもない」この映画『スティーブ・ジョブズ』はそんな映画なのだ。そして更にトリッキーなアイディアを盛り込んでいる。そうなったは「ジョブズの人柄とその変化。ジョブズが描いたテクノロジーの未来」の二つを描写するための方法なのだ。ちなみに2013年版は観ていません。

以下、気がついたことを書きます。



ジョブズとウォズニアック

Apple II - Wikipedia 
「2001年の社会」を40年前に正確に予言した作家クラーク:動画 - WIRED 


プレゼン前にジョブズに表れる主要人物のひとりにウォズニアックがいる。その彼がジョブズに頼むのは「プレゼンでアップルⅡのスタッフに謝辞をしてくれ」という要求である。アップルⅡの拡張スロットはブログ主的にはPC/ATまたはNECのPC8800シリーズでお馴染みのものだ。 --その拡張スロットは現在ではかろうじてUSBコネクタとして「名残」があり、機能そのものはクラウドとして変化している。-- ウォズニアックが増やそうとしてジョブズが減らそうとした拡張スロットからみるこのエピソードはテクノロジー(パソコン)の未来の議論でもある。テクノロジーをレゴブロックのようにして「自由度」を高めたウォズニアックのアイディアはそれを普及させる原動力になったが、それでは冒頭でクラークが言っていた「場所に縛られない」使い方に制限ができてしまう。映画ではジョブズがMacでリサが描いた絵(らしき)ものをクルリと回してみせるシーンがあるが、ここは重要で、それこそがジョブズの目的とした「場所に縛られない」テクノロジーのあるべき姿を示しているのだ。だから、ジョブズはウォズニアックの「願い」をきかなかったのである。


〇 三つのプレゼン会場

異化の原理と異化効果 - シェイクスピア戸所研究室 
【レビュー】 世界のOSたち - 「Mac OS」に至る設計思想が盛り込まれた「Lisa OS」 - マイナビニュース 

映画ではMacの時は(スーパー)16mm。NEXTの時は35mm。iMacの時はデジタルと撮影フォーマットを三つに分けて展開している。これは単に「時代を合わせていった」だけではなく「時代がジョブズの考えに近づきつつある」を描写している。そして「観ている者にジョブズに感情移入させる」仕掛けにもなっている。画面のザラつきがジョブズを観ている者の感情としてリンクしている。最初はジョブズを嫌な奴だと思って観ていた者がラストではそれなりの感動をするのはそんな効果だ。そして三つのプレゼン前につねに表れる人物のひとりであるリサこそが観ている者の代表だ。 “観ている者=リサ” ともいえる。だからiMac発表時のジョブズとリサのアイコンタクとは我々とのアイコンタクトでもあり、それは「これから」の世代のへの「可能性」を示している。 “観ている者=リサ=可能性” なのだ。


感想は……

ダメです。まったくノレませんでした!例えば『黒衣の刺客』で「エンタメを期待した諸君。残念だったな、これはアートだ」な主張をしていたら「まぁ、しょうがない。ホウ・シャオシェンだし」とあきらめもつきます。しかし、この『スティーブ・ジョブズ』は違います。エンタメです。疑うことなくエンタメです!しかし、「人を選ぶ」エンタメです。このエンタメの対象者は「意識高い系」です。ニューズ〇ィークとかクーリエ・ジャ〇ンとか読んでいる奴らです。そんな映画に俺はノレません。ノレるのは正真正銘の奴か、勘違いしている奴だけです。そんなエンタメはこっちから「願い下げ」です!ダニー・ボイル監督は観客に合わせて映画を撮るのがうまいけど、ここは「便器に頭を突っ込んでいた。初心を思い出してほしい」という感想だけです。




 
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