ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
ストーリー
太平洋戦争中の1943年、牧眞人は空襲で実母・久子を失う。3年後、軍需工場の経営者である父親の正一は久子の妹、ナツコと再婚し、眞人は母方の実家へ工場とともに疎開する。疎開先の屋敷には覗き屋のアオサギが住む塔がある洋館が建っていた。不思議に思った眞人は埋め立てられた入り口から入ろうとするが、屋敷に仕えるばあやたちに止められる。その晩、眞人はナツコから塔は、頭は良かったが本の読みすぎで頭がおかしくなったといわれている大叔父様によって建てられ、その後大叔父様は塔の中で忽然と姿を消したこと、近くの川の増水時に塔の地下に巨大な迷路があることからナツコの父親(眞人の祖父)によって入り口が埋め立てられたことを告げられる。
スタッフ
原作・脚本・監督 宮﨑駿
プロデューサー 鈴木敏夫
作画監督 本田雄
美術監督 武重洋二
助監督 片山一良
音楽 久石譲2023年製作/124分/G/日本
Wikipediaより引用。
今回はネタバレ超スレスレの解説モード。
注意:今回は内容については核心に迫る書き方はしていませんが、純粋に楽しみたい方には読まないことをお勧めいたします。
いいか、釘は指したぞ!
さて、本作はどうも宮崎駿最新作なのだが、どうも最後の作品で個人的な作品でもあるらしいせいなのかパブリシティを一切打たないという逆宣伝方法で話題となった。
正直、国民的人気作家の知名度を利用した殿様商売な方法なのだが、それと同時におそらく前作『風立ちぬ』よりは尖ったモノを出して来るのだろな。と薄らぼんやりとは予想して鑑賞。観終わって数分間たっての感想が……なんじゃこれ!
食えねえアニメだな!
率直にいって、動画にかつてのダイナミックな魅力はかなり減ったが、それでも駿自身の豊かなイマジネーションな相変わらずに芳醇で退屈なくたのしめる。
でも物語は意味不明。
だけど、ドラマは超シンプル。
殿様商売の印象は変わらないが。どんな話なのかを要約して説明をするのは結構大変で、宣伝をしない戦略を採用したのもチョットだけうなづけるところがある。
さて、ドラマはシンプルなので、本作は豊かなイマジネーションの中三つの要素で分解できる。
A:宮崎監督自身の母に対する敬慕。
B:宮沢賢治の世界観への憧憬。
C:高畑勲とのアニメ論争。
この三つ。
まずはA。主人公の少年こと眞人が異界に迷い込むのは『千と千尋の神隠し』と同じなのだが、迷い込むキッカケとなるのが、父の後妻であるナツコなのだ。そして異界に飛び込んだ眞人を助けるのが、火の力を操るヒミという少女で実は……という、本作の大人の雰囲気を漂わせる女性と元気いっぱいの少女の二種の設定に、もうこれは宮崎監督が描いてきたヒロイン象そのもの。
なので、俺のヒロインの原点は母。と宣言しているようなもの。宮崎駿は母に対して多面的見方をしている。
ちなみに本作では『天空の城ラビュタ』のドーラらしきキャラもいる。婆さんも宮崎作品ではヒロインなのだ。これで一目瞭然。
ちなみに眞人の父は兵器工場で働く、よく言えば豪放磊落、悪く言えばガハハオヤジで、繊細な眞人とは正反対だが、眞人も弓矢を一から作るとういうものづくりが似ているという点で父の血を引いているのも暗に示している。
次のB、宮沢賢治への憧憬は、チョイと説明すれば、賢治の代表作である『銀河鉄道の夜』の一章に「鳥を取る人」というのがあって、そこで鷺(サギ)を食べる話があるので、その裏返しなのは容易に想像できる。-- 宮沢賢治といえば『注文の多い料理店』とかもあるし -- それに宮崎監督がイーハトーブから影響を受けているのはファン&研究者からは常識になっているのは承知の事実だ。その賢治の生死観である「死、つまり人の器から出た魂は別の何かにそっと入り込むまで漂う」を本作ではちゃんとやっている。
わらわら。
最後にⅭ。本作では「本を読み過ぎて頭がおかしくなった」人物が出てくるが、その人物のモデルこそ宮崎監督のアニメの盟友であり師友でもある高畑勲だ。
その高畑勲が作り出したアニメーションとは、日本アニメ草創期に使われていた記号的表現を廃して独自の表現方を作り出して -- それらは今やスタンダードになっている -- 日本アニメを変えた事であり、さらに最終的には2次元的な手法で3次元的な情感を得るためにカッチリした線画よりも揺らぎのある線画の境目が分からないもので『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999)や『かぐや姫の物語』(2013)をも作ってしまった事だ。
アッー、面倒くさいのでぶっちゃけると、あのグラグラした積み木の事だよ。アヤツが眞人がそれを受け継がせようとすると、眞人は動かない積み木を想像して断るのは「俺は高畑のようなアニメは作れない、線画がクッキリした俺のためのアニメを作る!」という宣言だ。あんなアニメは誰にでもできるもんじゃないしな。
もうチョイちなみに、高畑監督が尊敬しているカナダのアニメーション作家フレデリック・パックの『木を植えた男』(1987)を観ておくと彼の目指したアニメーションが薄らぼんやりとでも理解できる。
さて、このAとBとCとの要素がひとつに繋がるならそれはこうなる。
アニメーション作家宮崎駿の創作態度・哲学をファンタジーの形で描いているのだ。
コナンもカリオストロもナウシカもラピュタもトトロも豚ももののけも千と千尋もポニョも風立ちぬも、この三つのうちどれかがあって構成されている。という明け透けな告白が本作で吐露されている。
それは宮崎作品だけではなくジブリブランドのすべてを観ている者なら自明の理。
とはいえ、自分もそれに気が付いたのは観終わって数分後で、鑑賞直後に頭をよぎったのは……
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キムタクはシャアの代役ができるな。
劇場で鑑賞。