えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

ライト&マジック

お題「気になる番組」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 



www.imdb.com

 

今回も前のめりで語りたい作品がない。

 

なので、趣向を変えてネット配信ディズニープラスに入っていたこのドキュメンタリー作品シリーズについてやってみたいと思う。

 

えっ??

 

チミは最近のディズニーは映像よりもコンテンツ産業の臭いがきつすぎて好きになれないとかのたまっていなかったか?

 

やめてくれー!そうだよオレはコレ見たさに信念を曲げたのさ、変節したんだ。あ~蔑むがいいさ!!

 

ハイ、三文芝居終了。👏

 

ちなみに、今回はリバーシブル仕様。本作を観ていない者には入門編な役割になるように心がけたし、観た者にとってはチョッとだけためになる書き方を心がけたつもり。

 

じゃあ、はじめる。

 

はじめに:今回はスターウォーズサーガの事をSW。インディ・ジョーンズシリーズの事をインディ。ジュラシック・パークシリーズの事をJPと略称します。

 

本作に登場する特殊効果会社ILMとは、スピード狂の映画監督ジョージ・ルーカスが今までとは違うSF、というよりも宇宙を舞台にした冒険活劇を作るために設立したのは今や特撮&映画ファンどころか誰もが知っていることだが、その前にルーカスが映画史に名が残る人物なのだということをサラッと語っておきたい。

 

実は、映画史においてルーカスは最低でも4つの仕事を残している。

 

ひとつ目は……ハイ、誰でも知っているから割愛!

 

二つ目は『アメリカン・グラフティ』を撮ったこと。

 

ポスター画像

 

この作品は、ベトナム戦争前期、1962年のカリフォルニアの田舎町を舞台に、高校を卒業した青年たちが共に過ごす最後の一夜を当時の描いている群像劇で、特に若者たちにつきまとう不安定な感情を当時の歌曲と車(メカ)で表現するソレは後の青春モノのスタンダードになった。これに異論をはさむひとはそうそういない。

 

三つ目が音響設備「THX」で現在における映画館の上映形式を普及させたこと。

 

Razer、音響システム大手のTHXを買収―THX認定ヘッドホンやVR向けオーディオに事業拡大 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

 

THXとは自作にちなんでつけられた名称で、映画館や家庭用AV機器にまで及ぶ再生規格だ。『ジェダイの帰還』公開前に映画館での音響が正確に再現できない事実をルーカスは知って、それに不満をもって自作の意図をよく知ってもらうために自社(ルーカスフィルム)に専門家を招き映像・音響ハードの向上とそれをベストで視聴する環境の標準規格を立ち上げた。それがTHXだった。

 

日本だと、スター・ウォーズ以前は映画館の床はゆるいスロープの上に座席が取り付けてあったが、それだとステレオサラウンドを充分に愉しめていない状態を改善したはじめてが、THX。現在、シネコンの座席はひな壇ような床の上に取り付けているが、そのプロトタイプをはじめて提唱したのがソレになる。

 

その先便をつけたひとりにルーカスはいる。

 

しかし、先にだったと注釈を入れたのは現在ではもう主流ではなくなったからだ。THXは年に一度に認定を受けなければならなかったが、ぶっちゃけそれがめんどくさい。でも、それが現在のシネコンの設計空間の基になっているのも確か。

 

四つ目は、それまではアナログ処理で制作に手間がかかる映像作品にはじめて本格的にコンピューターを導入して映像と音響をデジタル処理にして映画製作をより簡易にした。

 

余談だが、最新映像機器で映画製作をより簡易にしようと考えたのはルーカスだけではない。彼の師友というべき存在『ゴッドファーザー』(1972) のフランシス・F・コッポラもそれを構想していて、そこから生まれたのが『ワン・フロム・ザ・ハート』(1982) になる。

 

 

だが、この作品は批評としても興行としても失敗の烙印を押されたために絶頂だったコッポラの凋落がはじまるのである。その顛末を見ていたはずのルーカスは、まだ一般には馴染みが薄い映画製作のデジタル化を模索してゆくことになる。

 

これは今回の話に通じることなので後で。

 

とまぁ、まとめると彼は映画・映像界(?)のスティーブ・ジョブスです。自分のもつビジョンを提示して、技術者等が具体化してゆく工程はエジソンやディズニーがやったのと同じで、まさにハイテクとイノベーションアメリカ的な立身出世者。

 

そんなルーカスがSW制作にあたって「今まで見たことない」特殊効果をやるために起ち上げたのがILM。そこに集まった彼らはが映画界にどんな革新をもたらして、それがどうなって行ったのかをまとめたドキュメンタリー。それが本作。

 

その構成は大きく分けて3部。

 

A: SW誕生以前

B: インディとアンブリン

C: JP以降

 

これになる。

 

まずはA今までとは違うSF作品を作ろうとしたルーカスが最初に迎い入れたジョン・ダイクストラを皮切りにリチャード・エドランドデニス・ミューレンフィル・ティペットジョー・ジョンストンという錚々たるメンバーが集まる特撮梁山泊な展開になる。特撮ファンならよだれを流すくらいのメンツだが、当時はぶっちゃけただの映像オタクな集団。そんな彼らが後に映画界に語り継がれる作品にどのように関わってゆくのかがAのメイン。

 

作品的には、公開のスケジュールが迫っているにもかかわらず新しい特殊効果による試行錯誤期とオタクな彼らの挙動で納期に間に合うかどうかの瀬戸際に追い込まれてゆく流れ。

 

個人としてのここでのポイントは、SW以降のSFXの象徴的な撮影機材になるモーションコントロール・カメラのプロトタイプを見ることができたこと。

 

ライト&マジック

モーションコントロール・カメラとはカメラが同じ動きを再現できるのを利用して合成素材をいくつか作って、それを光学合成でひとつのフィルムにまとめる撮影機械・技法でこのプロトタイプを作ったのがアルバ・ミラー、ジェリー・ジェフレス。そしてその時にサポートをしていたのがジョン・ダイクストラで、これが緣。

 

ただこれは単に同じ動きを繰り返すだけなので、これを合成用に改良したのがダイクストラフレックス。ようはモーションコントロール・カメラのはじまり。

 

本作で語られてはいないので釘をさしておくべきは、同じ動きを繰り返すモーションコントロールはSW以前に1950年代に撮影手法としてはすでに存在していた。それは『未知との遭遇』や『ブレードランナー』の特殊効果を担当したダグラス・トランブルが参加していた『2001年宇宙の旅』(1968)で映画に転用できるようにまでにはなっていたが、まだアナログで動きが単調だったのに対して、それをデジタルなコンピューターに連動することにより自然(シミュレーション的)な動きの映像素材を作れるようになったのが、公開当時映像革命とよばれたSWのモーションコントロール・カメラなのだ。ジョン・ダイクストラはそれにかかわっている人物になる。

 

とまぁ、このあたりを見れただけでも満足。

 

でもSW1以降に、ILM存続のためにダイクストラが引き受けたTVドラマ『宇宙ギャラクティカ』からのルーカスとの確執はサラッと流した程度。

 

ドロッドロだと思うけどね、あのヘンは……。

 

もちろん、ILMを去ったのはダイクストラであり、事実ルーカスがその後の主導権を握るのは映画ファンなら誰でも知っている事だけども、もしもダイクストラが主導権を握っていたら、その後の映画史を変える大変革はまだ先だったかも。

 

ここからBの時代と、四つ目。デジタル化への道に。

 

このあたりはアナログILM特撮最高潮の時代でもあり、今でも名が残る作品に携わっている時期でもあるのだが、個人的に強く覚えているのは『ポルターガイスト』(1982) で見せた「まるごと家が一点に集約されて消えてゆく」特殊効果。

 

ポルターガイスト(1982)

まだ、CGどころかデジタル化もはじまっていないアナログの極みのようなカット。仕掛けそのものはすでに知ってはいたけども、こうして具体的な解説が映像にされると、すごいな。の感嘆符しかない。

 

そして、ここからCGの時代とCにつながる人物として登場するのがエドウィン・キャットマル。

 

「コンピューターでアニメ作る」。ことを目標にニューヨーク工科大学で研究をしていたキャットマルに映画製作のデジタル化を目指していたルーカスが彼を雇用して研究を支援。

 

自分等がSW関連グッズにつぎ込んだお金がここに使われたと思うと……

 

でも、キャットマルが作品としてILMに携わったのは『スター・トレックⅡ カーンの逆襲』(1982) と『ヤングシャーロック ビラミッドの謎』(1985) の2作だけで、特に後者の作品が画期的だったのは、それまでCGが物体のシミュレーション。ぶっちゃけメカと星だったのに対して『ヤング』では、はじめてキャラクターをCGで表現したことろ。それをよりリアルにさせるために後に参加させた初のオールCGアニメーション作品『トイ・ストーリー』(1995) を監督して初期ピクサーの象徴するジョン・ラセターもスタッフにいる。

 

ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎(1985)

そして、本作に強調すると。キャットマル等がルーカスの元で開発したピクサー・イメージ・コンピューターの画期的な仕様である「写真や画像をコンピューターに取り込める」技術を動画、つまりフィルムから入力、そしてフィルムへと出力できるようになったことだ。1983年にはコンピューター内で動画を動かすことができるジオメトリエンジンという演算素子はすでにシリコン・グラフィック社の創設者ジム・クラークによって開発されていたので、それを組み込んだのがピクサー・イメージ・コンピューターになり、それを使って作成されたのが『ヤング』のCGになる。しかしキャットマルの目標がルーカスと違っていたので1986年にスティーブ・ジョブスに売却されたのは本作のとおり。

 

しかし、キャットマルはILMを去ったが、その技術の遺産はILMに残りCに繋がる。

 

そしてその隙間に登場するのが、ILMに入ったばかりの新人ジョン・ノール。彼が後のCGに必要になるツール、Photoshopを兄トーマスと共に開発するからだ。

 

そして、Cの時代。CGの時代に入る。もちろん『アビス』(1989)、『ターミネーター2』(1991) は登場する。

 

アビス(1989)

とどめはあの『ジュラシック・パーク』(1993) だ。

 

ジュラシック・パーク(1990)

そこの中心となる人物が前述したジョン・ノールにマーク・ディッぺとスティーヴ・ウィリアムズ。彼等を中心にしてSWの時のような映画史に残る二度目の快挙をILMにもたらす。そしてここでルーカスがSW初期に構想した、映画製作を簡易にできるツールが揃い、ルーカスに新たなるSWサーガを撮る(作らせる?)契機となるのだ。

 

もちろんJPでのCG恐竜誕生のエピソードである「モデルアニメーションのフィル・ティペットが衝撃を受けた」話や、JP以降、アナログからデジタル、というよりもデジタルとアナログの混合だった形態が、よりデジタルへと変化してゆくILM内部をモデルショップ部門を中心に語る展開になるのだが、その劇的変化に上手く対応できたのはこの時すでにILMで古参で重鎮になっていたデニス・ミューレンがCGに対して好意的な評価をしていたからでもある。

 

これはILMという企業が、古い技術に固執したために新しい技術から生まれる市場の可能性に目を向けることができずに衰退、または優位性を失ってゆく、いわゆる、イノベーションのジレンマに陥らなかった事実で、組織論としても興味深い。

 

そして、ラストの締め。

 

特にケン・ラルストン、フィル・ティペットの言葉が泣ける。

 

この言葉こそ6話にわたるシリーズにふさわしい締めはないだろう。

 

参考

THX - Wikipedia

奇想天外 1980 7 NO.52

NHKスペシャル 新・電子立国 1

シネフックス10

 

 

 

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