注:誤記を修正しました。
『チャッピー』を観ました。ブロムカンプ監督らしい映画でした!
『チャッピー』のラストで大感動するか、大爆笑するか。こんなんで“アレ”をどうにかできるのか?という疑問をサラッと考えてみたい。(あのヘルメットが実在できるのかは考えないことにしました)
ムーアの法則 - wikipedia
いちおう背景にはムーアの法則を知っているのあれば、今でなくても、将来はもしかしたら「できるかもしれない」
だが、『チャッピー』ではいきなりRAMではなく、一端フラッシュメモリに“アレ”を記録するから。まず、人間の“アレ”は記録容量としてどれくらいなのかを知っておく必要がある。そこで……
12テラバイトの容量をほかの物で換算するとどれくらいになるのか - GigaziNE
どうやら“アレ”は1.25テラバイトらしい。(根拠は考えないことにしました)現在では1テラバイトを記録するフラッシュメモリは存在するから、あとは数テラバイトの記録ができるフラッシュメモリができる可能性はあるのか?ないのか?
半導体プロセスまるわかり 微細化の限界にあるNANDフラッシュ - ASCII.jp
技術的だと、どうやら数テラバイトまでは可能らしい。(コストは考えないことにしました)どうやら現在ではムリでもそう遠くない将来はできるかもしれない。つまり……
映画での展開はあり得るかもしれない。
しかし、それができるとしても“アレ”があんな、あつかいでいいのか?もっと崇高なものが“アレ”じゃないのかと考えても良いかもしれないが。ある科学者兼SF作家が“アレ”について語っていた。
ロバート・L・フォワード - wikipedia
一種の未来の魔法を想像してみよう。脳の中の原子や分子が知性を秘めたパターンを形成するとき、これらの原子や分子はそのパターンを時空マトリックスに刻みこんではいないだろうか?もしそうなら、我々の知性であるパターンは脳の神経細胞などの物質的なものだけではなく、我我が暮らしている時空のようなエーテル的なものにも刻み込まれていることになる。知性のエーテル的なこのコピーが魂かもしれない。
乱暴にいうと記憶媒体が違うだけで“アレ”の本質に違いはない。ということだ。
海外ではどうかはわからないが。『チャッピー』のラストの“アレ”は日本ではすんなりと受け入れられるだろう。何故ならもうすでにそんなアイディアに基づいたヒーローがいるからだ。
と、いうよりも……
ブロムカンプ。おまえは絶対にアレを観てるだろう!
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