加筆有[敬称略]
こんな記事をみつけました。
「白人ばかり」のアカデミー賞、リー監督らがボイコット表明 - CNN.or.jp
2015年にもそんな話題がありました。
アカデミー賞候補「黒人がいない」波紋広がる、ジョージ・ルーカス監督も異議 - クランクイン!
確かに『ジェームズ・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男』のチャドウィック・ボーズマンがノミネートもされないのは実在した人物で演技では評価が高くなるアカデミー賞では珍しいと個人としても感じていました。
もっともアカデミー賞が黒人に対して必ずしも冷たいというわけでもありません。過去にもシドニー・ポワチエ。デンゼル・ワシントン。フレォスト・ウィテカー。ジェイミー・フォックス。ハル・ベリーがオスカー像をもらっていますから。近年の傾向はオバマ大統領が登場してからではないのかと。
しかし、アカデミー賞受賞作&受賞者のパターンを知っていれば「どうしてこーなる?」感が把握できるのかもしれません。
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さて、本題。赤尾千波著『アメリカ映画に見る黒人ステレオタイプ』 (梧桐書院) 本があります。
内容はハリウッド映画で描かれた黒人のキャラを政治的な視点、いわゆるポリティカル・コレクトから、各作品を分析と論評しています。
この本での黒人のステレオタイプは
A:アンクル・トム かわいそうな黒人。
B:マミー 現状に満足している黒人。
C:クーンとピッカニー おしゃべりで自由な黒人。
D:ムラトー 魅惑的な女性の黒人。
E:バック 暴力を連想させる男性の黒人。
の5タイプです。これにアカデミー賞を受賞しそうな役を加えます。
A:実在した人物。
B:障害者。
C:功労賞。
の3タイプでしょうか。Cに多少補足しますとこれは単に俳優個人キャリアだけではなく、そのカテゴリーを代表としての功労も含まれます。これに対してごくたまに「本当に演技力を評価して」とういのもありますが、本当にごくたまにです。
つまり、アカデミー賞にノミネートされる黒人の役は上の二つの要素のどれかをかけ合わせたものになっています。二つの要素から微妙にズレている役は排除される傾向があるようです。自分が分類するならポワチエはCとC。ウィテカーはEとA。ワシントンはEとC。フォックスはAとA。ベリーはDとC。でしょうか。つまりラベルの組み合わせ方のインパクト度で演技の良さを判定していることになります。
それとは別に1980年代以降。スパイク・リー監督の登場による黒人による映画製作とエディ・マーフィー、ウィル・スミス、マーティン・ローレンスなどのお金が稼げる黒人スターが登場した影響でアメリカ映画界で急速に勢力を大きくしていった背景も考えると、簡単にいえば、ラベルの組み合わせだけでは判定ができないほど多様性が表れて従来の思考では追いつかなくなっているのかと。
ひとつ重要なことはこれは差別を意識してできるわけではない。とういうことです。何故ならよほどの理由が無い限り「自分は差別しています」などと公言すると社会的地位が無くなってしまうのはわかっているからです。差別主義者はその他大勢に隠れているのがデフォルトなのです。そしてまたそれとは別に偏見はつねに無意識として表に出るしかない。まさに「無知こそが偏見と差別の苗床」です。もちろん自分にもあるであろうなものです。
アカデミー賞の基礎知識:0からわかる!アカデミー賞
アカデミー会員の実態判明 平均年齢62歳、白人94% .- 映画.com
会員数は約6千人。俳優は1311人。上記は最新ではないが、現在でもそれほど上がっているとは考えられません。ですから今回の出来事は、意識してではなく、無意識というのが正しい。それは世界でも日本でもありえる話でもあります。本来なら偏見をまじえずにきちんと評価できるはずのプロがどうしてそうなるのか?自分としては「プロだからこそそうなる」説を提唱したいと考えます。最近日本でも似たようなことがあったからです。STAP細胞事件です。
『小保方証言』STAP問題の真相 | NHK「かぶん」ブログ:NHK
大勢のプロが当たり前にもっている心構えを。他の人も持っている前提で事を進めるために問題に気がつかないことは大勢で仕事をしている人ならなんとなく感じているはずです「どうしてこーなった」だと。
そしてプロはプロなりの技量とノウハウをもっていますが、それは経験から身につけたもので「表に出す」のが難しいものでもあります。もちろんマニュアルにすることはできるかもしれませんが、それは所詮 “標準化” の粋をでません。これを解決するのは自分の頭では無理なので、やはりここは投票権の人種間の修正だけではなく流動化を計るしかないのかと。
最後にひとこと関係のないことをつぶやきます。
がんばれデカプリオ!