ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
1962年のアメリカを舞台にしたファンタジックなラブストーリー。冷戦下のアメリカの研究室で秘密裏に行われていたある実験。そこの清掃員であるイライザはその秘密が半魚人の生体実験であることを知る。半魚人が解剖されることを知ったイライザは同居人のジャイルズと職場仲間のゼルダ、そして謎のホフステトラー博士たちの助けで半魚人を研究所から逃がすことに成功する。それを追う警備責任者ストリックランドの手から逃れてゆくうちにイライザと半魚人の間に不思議な感覚が芽生えてゆく。
アカデミー賞、監督賞・作品賞おめでとうございます!
しかし、受賞内容はおそらく「多様性を重きに置く大人の童話」であり、けっしてモンスター映画として評価されたわけでは無いのだろうと捻くれた感情があるのも確か。この映画、モンスター映画に必要な「怪奇」の部分が希薄だからだ。期しくもゴールデンラズベリー賞でワースト男優賞(トム・クルーズ)を受賞した『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』と同じだ。もっとも『シェイプ……』が意図としてやっているのに対して『ザ・マミー』は本当にボケているのだけれども。
ここでいう「怪奇」とは「日常に未知の非日常が入り込むことによって生まれるスリル」だ。だからソレにどれだけ魅力があるののかが勝負の分かれ目でもある。
しかし、現代ではそんなものはせいぜい宇宙が海底くらい ーー だから『エイリアン』や『リバイアサン』は娯楽として通用した。-- だろうし、未知の非日常を一から作り上げた『ガメラ 大怪獣空中決戦』や『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』が評価されている理由でもある。
『シェイプ……』に「怪奇」が描写されているらしきシーンはせいぜい半魚人が〇〇を〇〇ているぐらいだ。「意図として」部分はそうゆうことでもある。
それから考えると、半魚人である必要性がどこにあるのかが分からない。ドラキュラでも狼男でも成り立つからだ。つまりこれは「監督が半魚人が好きだからそうしたかった」からだと思うしかない。この映画はデル・トロ監督のプライベートな作品だ。
先に「多様性を重きに置く大人の童話」として評価された。と書いたが、この映画の本質はひたすらに「そうしたかったから」のみ描いている気がする。 -- 半魚人と人間の恋という説得力なさそうな話をバスの窓ガラスに張り付いている水の塊が擦過の風で一塊にする描写で「そんなことも起こるさ」を暗示させるなどの工夫は色々としてはいる。-- だから、そこが偶然に評価されたのではとも勘ぐってしまう。
もちろん娯楽や物語ではなくアートとして評価するならこれは正しい。アートとは個人的な情動が自身がもっている技術で目の前に現れるものなのだから。ただ、自分の中の怪獣と宇宙船好きの部分が疼かなかったことも、また確かなのだ。
『シェイプ・オブ・ウォーター』予告編 | The Shape of Water Trailer