ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][修正有]
沖縄戦を題材にした『ハクソー・リッジ』。観終わった後の感想は、実は戦争は主題ではなくどうやら前半の父と子、中盤の訓練と後半の戦闘におけるソレはデズモンドに対するどうやら贖いであるらしいこと。そしてこれは奇跡を描いた映画であることだ。
不勉強にもデズモンド・ドスのことはこの映画で知ったのだが、カソリックである監督のメル・ギブソンは映画化に際して教派が違うにもかかわらず、あきらかに彼に対して尊敬を込めすぎた態度を溢れさせた演出をしている。ここではギブソン監督が主人公デズモンドにどれ位の尊敬をはらっているのか?それを自分なりに書いてみたいと思います。
こちらもお願いします。
これからはネタバレになります。映画を観ていない方にはおススメできません。
現世に生起する現象は、自然現象であろうと社会現象であろうと、神が創造したまいし確固たるルールにしたがって生起し行動する。例外はありえない。だから、このありえないことがおこったということは、このルールに変更があったこと、あるいは暫定的かもしれないが、ともかくも神のつくりたまいしルールに変更があったことを意味する。こんなことができるのは、もちろん、神だけである。神の力が働いたことがあきらかなのだ。この意味で、奇跡とは、神の力が働いた証(あかし)なのだ。
注:ありえないはふたつとも傍点。
小室直樹 著『アメリカの逆襲』より
奇跡とは神がおこすものだ。旧約聖書からの流れではそうなっている。だから人には奇跡はおこせない。しかし例外はある。神への呼びかけに対して神の声が聞こえる者。つまり預言者だ。
預言者は「神との仲介者」だ。だから誰にでもなれるものではない。その資格は他の誰よりも苦難の道を歩まなければ得られない。
苦難は肉体的よりも精神的な方に重みをおくのは直感で分かるだろうから映画でのデズモンドの苦悩はすぐに理解できる。「信仰と現実のギャップ」だ。映画ではプライドとユニークで表現している部分だ。彼はそれに翻弄されるが、最後にはそれに打ち勝つ。
しかし、神はさらにデズモンドを試す。「神の言葉は聞けない」といった彼の目の前で戦友の死を目の当たりにした彼が神に問いかける「答えてください」と。神は答える。助けを呼ぶ戦友の声で……奇跡がおきた瞬間だ。
こうしてデズモンドは預言者となった。そして奇跡をおこした。75人を救い --その中には日本兵もいることから公平であったあかしでもあるーー 仲間の誰もが驚嘆した。彼が奇跡をおこしたのを認めたのだ。
だから、後半の展開は理解できる。預言者に導かれた者達に敗北はないからだ。予告でも観たデズモンドが手榴弾を足で蹴って爆発をそらす行為が「ありえない!」とおもってはいけない。「ありえない」ことをするのが奇跡だからだ。そして彼は奇跡をおこせる者だ。預言者だからだ。
奇跡をおこした、預言者となったデズモンドに仲間達が賞賛する。台詞こそないが聖書の件で分かる。そして神も彼を祝福する。担架で運ばれた彼に光があたっているのだから……
監督のメル・ギブソンはデズモンドに教派は違えど同じ信仰者としての理想を彼にみた。そして、それを描いた映画が『ハクソー・リッジ』なのだろう。
余談:神と預言者の関係を描いた映画で一風変わっているのはリドニー・スコット監督の『エクソダス 神と王』だ。インドのシヴァ神を連想させる神が、神を信じないモーゼを気に入ることで旧約聖書の解釈に道すじを立てて --同じ傾向にダーレン・アロノフスキー監督『ノア 約束の舟』があるーー 神と預言者とのメロドラマを思わせる展開になっており、いかにも監督「らしい」映画でもある。
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