ここでは題名を恣意的に表記します。[敬称略][加筆修正有]
迷ったけど、『君の名は。』が公開される前に書いておこうと思います。
君の名は。 : 作品情報 - 映画.com
新海誠監督は「距離を描く」のをモチーフにしているのではないかと考えている。「実際の距離」「心の距離」「何だか言葉では言い表せないけど、とにかく距離」だ。その距離の末端にある者どおしが “刹那に触れ合う瞬間” こそが新海監督の真骨頂でさえも感じる。そこに「叙情的な美しさ」で感動するか。または「なんじゃこれは?」で置いてけぼり感をくらうかで新海監督の評価は定まるとみている。ちなみに自分は「どちらか?」と問われると現在は保留中なのであります。
今回は新海監督を世に知らしめた『ほしのこえ』の自分なりの考えを書いておきたい。
『ほしのこえ』は宇宙戦争で遠くへ離されてしまった少女と少年との心の交流と年月を描いた短編アニメーションだ。
そしてこのアニメは “ある思い込み” を打破した。それは……
切なさと郷愁の表現に都会の街並みを使ったから。
1950年代のまでの青春映画には「過ぎ去りし青春の日の切なさ」を表現するためにそこを象徴するような “自然を背景にした舞台” があった。『伊豆の踊り子』や『野菊の如き君なりき』などがそうだ。「青春の思い出」はそれとワンセットだった。舞台の背景が観ている者の感情へのフックとなって郷愁という切ない感情を揺り動かすことができたともいえる。
しかし、高度経済成長のせいなのか1950年を境になるとそれがどうしてか無くなっていった。地方の景色も平均化されて感情移入のフックがなくなって郷愁の感覚も薄れて青春映画の感じも変わってゆき、それが無くなった後の80年代後半に生まれつつあったのはマンガの美少女キャラなどの “萌えの原型” だったりするのも象徴的だったりするのもそうだ。つまり通念としての郷愁は切り離されて、もう各個人の中でしか「切なさ」が存在できない事になりつつあった。
そこに、ヒョイと現れたのはテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』だ。
『エヴァンゲリオン』がSFアニメにも関わらず一般にも人気を得た理由は複雑で裏読みができそうな設定だけではなく、主な配役が共感できそうな少年少女であり、自分もかつてそうだったことを思い起こさせる描写があったからだ。
「電信柱」や「マンホール」がそれにあたる。日々の生活で観慣れている人はそれを共感のフックとして複雑な世界観である『エヴァ』の登場人物に自分を重ねることができたとも。しかし、それは意図したというよりは偶然の産物である可能性が大きい。
それを意識的に押し出したのが『ほしのこえ』だ。
擬似的な遠距離を作り出して日常にあるビルに囲まれた都会の街並みを “目線” を変える事で観ている人に誰もが共感ができる部分をつくりだした。観ている人の郷愁 を揺さぶった。
自然ではなく、まして今まで見慣れたそれらに郷愁を感じる事ができるだなんて誰も考えていなかったからだ。まさに「不意をつかれた」のである。
さらにつけ加えると空や雲の独特の色使い、とくに空に伸びる一本の線の影を描いた風景。そして独自のモノローグ等でそれが、何故か観ている人の郷愁をさらに揺り動かす。そしてより「切なく」なる。
それからいえば新海監督の真の主役は登場人物ではなく背景なのかもしれない。