ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
今日のポエム
古典と冒険と郷愁と
オレゴン州の港町アストリア。13歳のマイキー・ウォルシュ(ショーン・アスティン)は、兄のブランド(ジョシュ・ブローリン)と家でくすぶっていた。その頃、警察からフランシス・フラテリ(ジョー・パントリアーノ)が脱獄、母親のママ・フラッテーリ(アン・ラムジー)の運転する車で弟のジェイク(ロバート.ディヴィ)とともに逃走した。マイキーの家へ、友達が続々と集まってくる。スペイン語ができて口のうまいマウス(コリー・フェルドマン)、ドジでいつも腹をすかしているチャンク(ジェフ・コーエン)、発明家のデータ(キ・ホイ・クワン)の3人である。彼らとウォルシュ兄弟は、自分たちをグーニーズと呼んでいた。ウォルシュ家は借金のかたに家屋をゴルフ会社に差し押さえられ、明日には家を出なくてはならない。屋根裏部屋で見つけた古地図に書かれているスぺイン語をマウスが解読したところ、海賊片目のウィリーが隠した宝の地図らしい。宝を見つけて借金をかえそうと、とめるブランドをしばって、マイキーらは岬に行く。そこには古ぼけたレストランがあり、あやしげな人物たちがいた。それがフラテリ一家だった。後を追ってきたブランド、そしてチア・リーダーのアンディ(ケリー・グリーン)、ちょっと変わった女の子ステフ(マーサ・プリンプトン)と一緒にレストランの地下に入り込んだ。
映画.comから引用
今回はネタバレスレスレの回顧解説モード。
今回からチョコットだけフォーマットを変えてみました。理由は飽きたから!
さて、今回は先日テレビでスピルバーグ&コロンバス&ドナートリプル盛り『グーニーズ』が放送されたので本作とそれを監督したリチャード・ドナーを語っちゃう。
でも、自分がはじめて本作を観た感想は良いものではなかった。どうも子供子供した感じに拒否感を覚えたからかも知れない。『E.T.』(1982)と同じ。
ほら、子供の頃はいい子ちゃんぶっているヤツよりも、盗んだバイクで深夜を走ったり窓ガラスを割ったりする映画が大好きでしょ?みたいな。
ところが、久しぶりに観直すと、やはり当然なのだが、監督したリチャード・ドナーらしい出来上がりになっていた。何かいいのよ!
自分が思うドナー監督の資質は、その人らしいクセやセンスもなく、何かにこだわるモチーフもなく、脚本に書かれている事を出来る限りに尊重しつつ、かつ、そのポテンシャルを最大限に引き出す職人監督だというところか。
つまり、デ・パルマやゼメキスやスピルバーグの捻りもなく、リンチやクローネンバーグのこだわりもない。
そして職人なので、何でもこなす。本作もそうだが、ホラー、ファンタジー、スリラー、アクション、SF等など、どんなジャンルでも撮ってしまう。
それでいて、それらの作品の評価は低い位置にはなく興行成績も良いとこから、スタジオ側からみれば使い勝手の良い監督となる。
80年代から2000年代前半にかけて、そんなキャリアを持っているのは彼しか存在しないといっても良い。それに近い位置にいるのは『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)、『ブルーサンダー』(1983)のジョン・バダムだけだし、興行成績とは無縁だけど、評価だけなら『パューム ある人殺しの物語』(2006)、『ザ・バンク 堕ちた巨像』(2009)のトム・ティクヴァがいるくらいだ。
他にもいるかも知れないけど思い出さなくてゴメン!(先に謝っておく)
その、ドナー監督の資質というか特徴を一言で表せば「端整」。
だって、クセとかこだわりとか無かったらこうなるよね。
だけども、無味乾燥ではない。先に書いたとおり脚本のポテンシャルを引き上げる腕は持っている。本作で例えるなら……
〇 序盤のグーニーズ達が冒険に出る理由となる土地買収を、債務回収者が主人公たちの土地を明日の期限だと通告して去った後、バルコニーから物憂げに外を眺めているマイキーを写してカメラを引くと、横に風光明媚な港町の姿を見せて、そこに後ろから来た兄ブランドに顔を埋める様に抱きついてブランドにズリズリと引きづられてゆく様子をカットせずにワンシーンで見せてゆくことで、マイキー他、子供等の悲しみと無力感を描写する。
〇 凍った死人(死体) → 横たわった水気の無い死人(ミイラ) → 椅子に座った水気のない死人(ミイラ)を順番に映すことで、グーニーズ達の心の変わりようと成長を描く。
〇 フラテリ一家の隠れ家の地下から入り込んだグーニーズ達が狭い洞窟内を探検 → 海賊船が置かれているだたっ広い洞窟へと導き → クライマックスからラストシーンに繋がる大海原を見せることで、観客への解放感とグーニーズ達の達成感を同時に描いて感動へと導く。
と、まあ。これはほんの一部だけども色々とやってはいる。まさに「端正」。
まあ、「いや、お前。それは単に腕の良い職人監督のことだと言っているだけじゃないのか?」返されたら、「そーですが、何か?」と開き直るしかないのだけども。
でも、こんな過小評価も過大評価もされない人物が映画界にはもう少しいても良いと思う。堅実という地盤は大事。
もちろん、これらはクリス・コロンバスの脚本が良いからで、観客の心キズを刻む尖った力はないために、あまりよろしくない脚本はどう引き上げてもソコソコにしかならないのもドナー監督の特徴でもある。
タ〇〇〇〇ンの事は忘れてください!(唐突)
そして本作が今なお、古びれずに多くの人々に愛されているのは、元々本作の要素に『宝島』、『オズの魔法使い』、『ピーターパン』、『トム・ソーヤの冒険』等々につならる欧米の古典的児童冒険談のエキスが濃厚に含まれてもいるので、ドナー監督のクセのなさとの相性も良かったのだろう。
だから、自分の様なドぐざれた者以外になら、今なお面白い!と断言できる。
TV&VODで鑑賞。