えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『ブレードランナー』の魅力とは一言でいえば〇〇〇〇〇〇!である

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 


Blade Runner (1982) Official Trailer - Ridley Scott, Harrison Ford Movi

www.imdb.com

 

ここでは『ブレードランナー 2049』を観る前に自分の気持ちをある映画と『ブレードランナー』のメイキングドキュメンタリーである『デンジャラス・デイズ・メイキング・オブ・ブレードランナー』を使って書いておきたいと思います。

 

 

リドニー・スコット監督『ブレードランナー』を評価したのは興行でも批評でもなく、この映画に魅入られた人々だ。彼等は『ブレラン』の世界を自分のモノにしようとそれこそ「俺のブレラン。私のブレランをカルチャーとして生み出してきた。誰もが指摘するとおりサイバーパンクも『ブレラン』が無かったら成立しなかったかもしれない。

 

しかしドラマから見れば『ブレラン』はよくある設定の寄せ集めでもある。ドラマは『フランケンシュタインから続くものだしビジョアルの原点はフリッツ・ラング監督『メトロポリス』であるのは誰もが指摘するところでもある。

 

さらにドキュメンタリーである『デンジャラス・デイズ』を観ているかぎりスコット監督はこの映画を完全にデレクト(監督)し切れてはいない。やや迷走気味でもある。

 

なのにも関わらず。自分を含めてこの映画に魅入られているのは何故なのか?

 

 

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映画「地獄の黙示録 特別完全版」日本版劇場予告

 

フランシス・F・コッポラ監督『地獄の黙示録』の評価は難しい。手放しで傑作を評価する人もいれば、前半は大傑作、後半は駄作。と評価する人もいる。自分は「どっちだ」と問われれば後者になるだろう。そしてドキュメンタリー『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』を観る限りでは迷走気味どころか、完全に脱線していて、それでも何とか映画にしたコッポラ監督の気力に映画の感動とは違う気持ちが涌く。

 

勤め人なら分かって何となく分かってもらえるかもしれないが、終わりが見えない作業を終わらせるには今まで自分が培ってきたスキルと知識から生まれる知恵を総動員させることがママある。そしてことが上手く終われば結果オーライだ。

 

ブレードランナー』もそれだ。結果オーライなのだ!

 

付け加えると、結果オーライを軽くみてはいけない。それに導くには前出したとおりスキルと知識がどうしても必要になる。無かったり足りなかったりすると作業は泥沼化する恐れがあるからだ。

 

ブレラン』はハンプトン・ファンチャーの脚本からインスピレーションを得たスコット監督がデビッド・W・ピープルズの脚本でさらにインスパイアされ内に湧き起こる「モヤっとした何か」をどうにか監督自身が持っている「教養と画のセンス」で定着させようとした苦心した。それこそがこの映画の本来の魅力だ。自分を含めてファンはそれに魅了されたともいえる。監督に確たるモノが無いのだから、それは闇鍋に箸を突くスリルと楽しみ方に似ている。

 

おそらくスコット監督がこの映画を冷静に見つめなおしたのは『ブレラン』に魅入られたファンが表れてからだ。

 

そして『プロメテウス』と『エイリアン: コヴェナントで、露骨に創造主(神)と信仰者の批判をしたスコット監督はあの時に『ブレードランナー』で描こうとした「モヤっとした何か」に気がついたのだろう。自ら描くべきテーマが見つかったともいえる。

 

何故ならBD版『ブレードランナー ファイナル・カット』の音声解説で監督自身が『ブレードランナー』と『エイリアン』の世界が統合すると言っているのだから。

 

もしかしたら『ブレードランナー 2049』は続編ではなく始まり物語かもしれない。

 

 

 

 

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