ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
1950年代のニューヨーク・マンハッタンのウエスト・サイド。貧困や差別による社会への不満を抱えた若者たちは同胞の仲間たちとグループを作り、それぞれに敵対し合っていた。ある日、ポーランド系移民の「ジェッツ」の元リーダーであるトニー(アンセル・エルゴート)と、対立するプエルトリコ系移民の「シャークス」のリーダーの妹マリア(レイチェル・ゼグラー)が出会い、一瞬で恋に落ちる。その禁断の恋は、多くの人々の運命を変えていく。
シネマトゥデイより引用
今回はネタバレありのチョイ誉め解説モード。
注意:今回は本作とは別に、ロバート・ワイズとジェローム・ロビンズ共同監督の『ウエスト・サイド物語』(1961) を『物語』と呼称します。
スピルバーグやなぁ。
まずライド!
ライド!ライド!
とにかくライド感で観る者を映画に引き寄せる!
マンボ!(お約束)
そして、やっぱり最後の締めはボッチ。
その間にリアルなグロを入れて、そこに露悪的な笑いを入れて、そして説教臭いメッセージをも入れる。
もう、どこから見てもスピルバーグ監督作品。
でも、どうして今『ウエスト・サイド・ストーリー』なのか?と言えば昨今のアメリカの社会変動が背景にあるのは誰もが感じているからだ。
当ブログでも何度か書いているし。
将来のアメリカは人口が優位にあった白人層が非白人層へと逆転する未来が確実なために、白人層と非白人層に抗争が起こっているという事実。そしてそれらが貧困を中心にして起きている現実。
つまり、格差問題も含んでいる。舞台の設定が、再開発で消えてゆく街になっているのはそうゆう事なのだろう。
そこにジェンダーのドラマも絡ませているが、自分にはソレを語る力量がないので省く。
だから、恋愛はそれらを浮き立たせる道具であり、ドラマの主ではない。これは『物語』の方も同じだ。
とにかく、今日的なドラマとして再生したのが本作だ。
ただ、本作は『物語』のリメイクではなく、1958年に初演した舞台劇を現代的にアレンジしたらしいが、『物語』の方が今尚名作として誰もが認めているのは50年代から70年代前半に民主主義国で起こった学生運動による「若者の時代」の熱狂のムーブメントによって支えられていたからだが、その描写は当時では過激なため『物語』ではソレを踊りによって表現していた部分を、本作はより細かく描くことで分かりやすくなっている。
なってはいるが、これが『物語』超えたか、あるいは拮抗しているかは、正直ミュージカルと音楽に疎い自分には、よく分からない。どこかで自分にスピルバーグ贔屓のところがあるからだ。だからまだモヤモヤしているところがある。
だから、「賛否のどっち?」と問われたらオズオズと「賛」の方に手を挙げるかな?かな?
(画像は映画.comより)
劇場で鑑賞。