えいざつき ~映画ポエマーの戯言~

映画批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『シンクロナイズドモンスター』はウルトラマンが出ないウルトラ怪獣かも

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][加筆修正有]

 

シンクロナイズドモンスター予告

 twitter.com

 

 

シンクロナイズドモンスター』。ダメウーマンである主人公グロリアの再起を怪獣を使って描いたコメディだとは予想してはいたけど。それよりも重いモノをモチーフに出してきた。そして男にはとてもエグイ展開になる。 

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シンクロナイズドモンスター』予告より

ここでは、この映画の登場人物の一人、幼馴染のオスカーを焦点にして自分の考え(妄想)を書いてみたいと思います。

 

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ここからはネタバレになります。観ていない方にはおススメできません。

 

通常の人間性のあらゆる特質のなかで、妬み(ねたみ)は最も不幸なものの一つである。嫉妬深い人は単に他人に不幸を加えようと望み、また罰せられることなしになし得ることなら何でもやってのけるだけではない。さらに自分自身もまた妬み(ねたみ)により不幸にする。妬み(ねたみ)深い人は自分の持っているものから楽しみを取り出すかわりに他人の持っているものから苦しみを取り出す。

   バーランド・ラッセル 著 『ラッセル 幸福論』より

 

 

オスカーは「何もない」男だ。子供時代、工作で作った身近な公園がグロリアのソウルの都市に負けていることで才能が無いのを自覚しているからだ。だから、親父のバーを嫌々ながらも経営している。できる抵抗はバーの改装、しかも予算の関係で半分だけ、ぐらいしかない。地元で鬱屈した日々を過ごしていた。

 

そんなオスカーにとって再び現れたグロリアは羨望(せんぼう)の対象だ。自分よりも才能があり、大都会で働いていたのに、その彼女アルコール依存とネット炎上で職を失い挫折して故郷に帰ってきたのだからこんなに嬉しいことはない。優しいふりをして彼女をダメな状態にしておくことが彼には今の「生きがい」なのだ。

 

ところがグロリアはオスカーの飲み友達であるジョエルと寝てしまい挙句には迎えに来た元カレであるティムをよりを戻して都会に帰ってしまう。彼女が自分より幸せになってしまう。そんなことをさせてはいけない!

 

はっきり言えばオスカーのやっていることはモラルハラスメントだ。モワハラ男だ。再起を図ろうとするグロリアはこの男と対決して勝たなければ先へと進めない。これがこのドラマだ。

 

ユニークなのは通常なら会話を多くしたシリアスか、またはサスペンスの味付けでドラマを進行させるが、この映画では「念」で誕生した怪獣なところ。自分としてはどうして怪獣なのか?これはどうゆう引用・比喩なのかが分からずに最初はピンとこなかったのだけれども、どうやら理由は監督のナチョ・ビガロンドが怪獣を撮りたいと考えていたから。↓

theriver.jp

 

だとしたら、ピンとくるのはウルトラシリーズの怪獣達だ。ウルトラシリーズでは「念」で誕生した怪獣がいるから。パッとなら『ウルトラマン』の伝説怪獣ウー や『ウルトラマン80』の初恋怪獣ホーとかが思い出されるから。ウルトラ怪獣に詳しいファンならもっと色々と指摘できるはずだ。もしかしたらナチョ監督はこうゆう番組を幼いころ観ていた可能性がある。それが、この映画で表に現れたかもしれない。何より、あの怪獣の造形はウルトラ怪獣ぽいから。

 

しかも、ナチョ監督は松本人志監督『大日本人』が好きなのだ。あれは巨大変身ヒーローをニセドキュメントで撮っているのでウルトラマンを知っていなければあの奇妙な味は楽しめない。

 

それを踏まえればあの怪獣とロボットはオスカーの情念 -- ウルトラ怪獣の設定でならそうなる。-- で誕生して、オスカー自身が自らの情念で破滅した。観方もできる。妬みで他に攻撃している人はやがて自らも破滅してゆく意味で教訓的でもある。

 

しかし、何よりもこの映画にはモワハラ男に対する反撃が粋だ。怪獣の咆哮がグロリアの心の咆哮に重なっているところから見てもジメジメしていない。爽やかだ。モワハラ男は投げ飛ばすに限る!だ。

 

あとはアルコール依存を克服するだけなんだけれどもね。

 

 

 

 

ラッセル幸福論 (岩波文庫)

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