ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
メキシコの「死者の日」を題材にしたピクサー・アニメーションの長編作品。日本のお盆にあたるメキシコの祝日。それは死者がこの世に帰ってくる日。ある一族の子供ミゲルは密かにミュージシャンになりたいと思っている、音楽の才能があったが、彼の一族は過去の出来事で音楽を禁じていた。そんな時ミゲルは自分の先祖が郷土の生んだ伝説的ミュージシャン、デラクルスだったことを知って彼の墓から愛用していたギターを盗み出してしまう。そして、ギターを弾いた瞬間にミゲルはカラフルな死者の国へと迷い込んでしまう。
原題は “COCO” ミゲルの曽祖母の名前であり、ミゲルの家の代表者であるので、これは「個人と家族」にまつわるドラマであり、もっとオーバーにいえば、「個人と一族」のドラマでもある。そして原点はミゲルを縛る一族のある伝統が曽祖母の個人的な物語とリンクしているところだ。つまり、曽祖母のドラマがミゲルと一族のドラマでもあるのがこの映画のミソでもある。だから、これは伝統というより戒めや教訓みたいなモノなのだろうが、元々に一族内の伝統とはそうゆうものであるのは、自身の体験を振り返ってもそれは納得はできる。
「死者の日」らしいのがあるのを知ったのははずっと前にエイゼインシュタイン監督『メキシコ万歳』で初めて得たし、最近だと『007 スペクター』で観たくらいの知識しかないが、観てると確かに日本のお盆に近いし、賑やかなところはライトノベル原作のアニメ化『あそびにいくヨ!』で描かれていた沖縄の先祖崇拝である清明祭にも近い。そして、この「死者の日」を抑えているとアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のノーカット風な撮り方にも意味が見えてくる感じがする。
物語はシンプルに「夢(音楽)か一族(伝統)」だが、人によっては様々な見方ができるのもファミリーのディズニーアニメらしいところだ。ミゲルの側につけば一族の音楽に対する拒否感は納得ができないだろうが、実際に受けた者達からすれば感情として個人としてはよく分かりもするのだ。
そして、夢(音楽)の単語にこだわらずに、それを仕事に変換すれば、その輪郭がハッキリと感じとれるかもしれない。仕事で家庭を顧みない親の姿。これは『新感染 ファイナル・エクスプレス』と同じだ。そんな見方をするのも、それだけ自分が歳を取ったということでもあるのだけれども。
もちろん、これは娯楽だから最後には粋で優しくなる結末が待ってはいる。そして当然だけれども感動は「和解と、より強い絆」に集約されてもいくのだ。「切っても切れない縁」を、だ。それを台詞ではなく音楽で示すのが、この映画の一番のポイントだ。子供も当然に感動するが、お父さんは泣いて泣いて、もっと感動するかもしれない。
早い話がオッサンホイホイならぬ「お父さんホイホイ」なのだが、ちょっと男よりも気がする。だから『アナと雪の女王/家族の思い出』を一緒にしたのだろうか?