えいざつき ~映画ポエマーの戯言~

映画批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『プーと大人になった僕』のネタバレ有りの感想というよりも最早ただの小難しい戯言

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

f:id:ko_iti301083:20180924121743j:plain

 

www.imdb.com

 

英国作家 A・A・ミルンが創出したキャラクター『くまのプーさん』を基にした実写映画。かつて100エーカーの森でプーと共に暮らしていたクリストファー・ロビンも今や一児の父となっていた。そんな彼を苦しめていたのは勤めていた会社の部署の閉鎖であり、クリストファーはそれを回避するために娘と約束していた休日も取りやめて仕事についていたが、そこにプーが現れて驚く。変わらないプーにイライラしながら突然消えてしまったティガーなどの森の仲間を探すことになるが……。

 

 心もとない記憶しかないが、100エーカー森の住人であるプーさんやイーヨー等はクリストファーの「空想」の友だちではなかったのか?なのにそのプーさんたちが娘のマデリンと妻のイブリンに見えるならまだしもクライマックスでは他の人達にも見える展開にちょっと途惑った、しかし、この緩やかな(?)改変がどうやらこのドラマの核心らしい。

 

それは後述するとして、前半の展開から入ってゆくと、100エーカーの森が変わってゆく展開には納得はできる。プーさんが「空想」だとしたら要するにアレはクリストファーの葛藤を描いているからだ。日々の忙しさでかつての面影はなく最後に部下のリストラにまで手を付け始まめるまでに「現実」というモノに心が蝕み変わってゆくのだから「空想」である、森の変化もティガー等が消えてゆくのは自然だし、このままリストラをしていたらクリストファーは本当にプーとも永遠に別れなければいけなくなる。が、文字通りに水をぶっ掛けられ目を覚まして改心する。ロンドンへの汽車で窓から流れてゆく景色を呟いたり、誰かをリストラするよりも自分が会社を辞める -- カーチェイスのシーンで「辞める」と言っている。-- 覚悟で会議に臨んでいるところからもそれは分かる。彼はかつての自分を取り戻したのだ。

 

ここから後半の核心に入る。マデリンとイブリンにプー達が見えるのは「クリストファーと同じタイプ」だと解釈すれば納得もできるが、ここではクリストファー以外の人々にもプー達が見える設定になっている。最初は戸惑ったがクリストファーが会議で提示した「鞄の売り上げを伸ばすために社員に有給休暇を与える」案に。-- 案そのものは、アメリカの自動車王と呼ばれたヘンリー・フォードの「自社の従業員に自社の自動車を買ってもらえるよう高賃金と低価格の自動車を販売する」モノと同じであり、市場を創り出す意味でマーケティングの先駆けみたいな発想になっている。-- どうしてクリストファー以外の人達にもプー達が見えているのかが分かってくる……

 

アイディアだ。

 

アイディアの語源は哲学者プラトンが提唱したイデアからだ。イデアとは雑に言えば「物体ではないが誰もがそこに存在すると認識している何か」だ。例なら数学とか音楽がそうだ。物体ではないのに誰もが共通事項として認めているから。約束事さえ覚えてしまえば使いこなせるし、そうでなくてもその存在を否定することはできない。

 

プー達も100エーカーの森もイデアそのものなのだ。だからクライマックスでクリストファー以外の人にも認識できる。認識できたからこそ「世界が変わる」新し過ぎる彼の提案を理解した。そしてこのドラマの核心である……

 

「子供の空想(想像)こそアイディアの源(イデア)であり、それこそが世界を変えるには必要な存在」だと主張する。

 

空想があるからこそ世界はもっと楽しくなり、もっと良くなる。正直、大きく心を揺さぶられた訳ではないが、そんなシンプルな素敵さが、「現実」に縛られた大人の自分には、ちょっとだけジワリとくるのだ。

 


「プーと大人になった僕」日本版予告

 

  

プーと大人になった僕

プーと大人になった僕

 

  

プラトンの哲学 (岩波新書)

プラトンの哲学 (岩波新書)

 

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画備忘録へ
にほんブログ村

映画(全般) ブログランキングへ