ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
日本製宇宙ステーション「あんしん」。地球への移住のため、ステーションでリハビリを行っていた月生まれの少年・登矢と、その幼馴染・心葉は、初めての宇宙旅行に地球からやってきた子供、大洋、美衣奈、博士とともに、ステーションと彗星の衝突事故に巻き込まれてしまう。大人たちとはぐれ、ネットが切断された閉鎖空間。そのなかで子供たちはときに反発し、ときに助け合いながら、減圧、EVA(宇宙遊泳)、マイクロマシンの暴走と様々な困難に立ち向かう。
アニメハックより引用
今回はネタバレスレスレの誉め解説モード
注意:今回は核心に迫るネタバレはありませんが、純粋に楽しみたい方には読まないことおススメします。
今回は趣向を変えて、NETFLIXで配信されている連続アニメである本作について語るぞ。
でも、その前に……
垢抜けたなぁ磯光雄。
『電脳コイル』(2007) の頃はガキ感があったのに本作では、そうゆうのがサッパリとウィッシュされてしまった。
これが時代というやつなのか。
まぁ、タネを明かせばキャラデザの人が変わっただけなんだけどね。
さて、磯監督と言えば、現実と仮想現実を重ね合わる 拡張現実(AR) を先取りしたと言われている。『電脳コイル』だろうが、ミステリー風に展開するとはいえ、現実と非現実との境界の曖昧さから来る新たな視点を『ブレードランナー』の原作者であるフィリップ・K・ディックや押井守作品のようなノワールな暗さではなく、あくまでも穏やかなジュブナイル風に描写することで人の意識の改変を印象づけたアニメだったのだが、本作でも、その方向性は変わらず、希望を感じさせる締めで終わっている。
でも、終盤に近づくにつれ独自用語が飛び交い、一騎加勢でクライマックスからラストシーンへの流れは、この物語(ドラマ)の意味は何なのかが掴めなくてポカ~ンとした人も多いはず。
ルナティック・セブン事件、セブン・ポエム、知能リミッター、セカンド・セブン、そしてフィッツ…からクライマックスからラストシーンにいたる解釈等々…
だから、本作を難解な作品だと感じた人も多いはず。
だけども、本作はAIのある基本を押さえれば、それらの謎はすんなりと解る。
それは、本作のAIは自らアルゴリズムを書くことができる能力を持っている事。そしてそれはハードウェアの制限に限界がなければ、いくらでもできるという事。
アルゴリズムとは何かと言えば「与えられた問題解決方法の手順」みたいなモノだ。将棋だと勝つという問題解決に向かって相手の指す一手から様々なパターンを予測をして、それを防いで、有利へと導くのが将棋AIの目的になる。
そのために、将棋AIには定跡・手筋・棋譜等々を人がいちいちデータ化して、これまた人がそれらに即したアルゴリズムを書いたりするのだけれども、本作のAI等はそれを自らで行う事ができるらしい。-- だから、知能リミッター
そして、面白い事にソレは物体ではなく情報空間にネットワーク状のまとまりとして存在していて、それをココではフレームと名付けている。
さらに本作のAI等はフレームどおしが合体できる仕掛けにもなっている。ダッキーとブライトが合体したみたいに。
そう、本作でのAIとは、ネットワークというフレームどおしが合体しあっている状態であり、クライマックスでのセカンドセブン中に存在する別のAIとは、そうゆう意味。
また、本作でのセカンドセブンは、人間を認識できないけど、人類は認識しているとはそうゆうコト。人間はひとつの肉の塊でしかないけども、それがコミュニケーションを取ることで、つまり情報を交互にやり取りすることで人類というネットワークのフレームが構築されて、そっちの方をセカンドセブンが認識してしているって事。
そう、クライマックスやルナティック事件がどうして起こったのかと言えば、AIには「人間という単体」を認識できなかったからからになる。
だから、人類というネットワークの接点・ノードに存在するのが人間だとういう情報を認識させれば良い。本作でのクライマックスの解釈はこれだろう。
でも、そのアイディア自体はすでに、イギリスのSF作家ジェイムズ・P・ホーガンが著した1979年『未来の二つの顔』に現れている。マンガにもなったので物語を知っている人もいるはず。
で、ちょっくら自分の考えを挿入すると、磯監督は本作を作る際にこれをお手本にしていたのだろう……多分。
でも、本作がスゴイのは『未来の二つの顔』の先を魅せてくれたところ。
この世界には目に見える空間以外にも目に見えない情報で満たされた空間が存在するって事。
「はぃ?」と疑問に感じる方もいるだろうけども、これは古来から知識人にとってはモヤっていながらも、「存在するんじゃないかな?」と希望的意味合いも含めて言われていることでもある。普通の人が幽霊の存在を信じるみたいにだ。プラトンのイデアとかカントの形而上とかドーキンスのミームとか、学問によって命名や定義は様々数々だけど、すべて同じだ。
ちなみに、宇宙論のひとつにホログラフィック宇宙というのがあって、その内容は、この宇宙の本質は情報であり、自分等は重力で映し出されたホログラムみたいなモノだと提唱して、これは現在でもかなりの現実味があるらしい。
そんな空間に存在する「何か」と、セブンのエスパターンを体内に埋め込まれた登矢と心葉との間にネットワークが形成されたと考えるのが筋だろう。
-- そして、おそらくはセブンも。そうでなければ、彗星のアレを変更できないし。
だから、本作のクライマックスはそんなに突拍子な展開でもない。
でも、どうしてそこまでやったのか?早い話が、「誰かしらかのと繋がり」なんだよ。
そう、『電脳コイル』と同じ。
本来はバラバラだった者どおしが、ある事件をきっかけにまとまって道をみつける。
まさしく、それが磯イズムというべきモノなのかも。
(画像は映画.comより)
VODで鑑賞。