えいざつき ~映画ポエマーの戯言~

映画批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『来る』ネタバレ無しのハイテンションな感想!

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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 澤村伊智ホラー小説『ぼぎわんが、来る』の映画化。食品会社に勤める田原秀樹の後輩が謎の死で命を終えた。その前に"あれ"は後輩に愛妻香奈との間に生まれた娘の知紗の名を語って訪ねてきたのだ。娘に危険を感じた秀樹は友人である津田大吾の紹介で心霊ルポライターの野崎と霊媒師の真琴に相談するが、その呪いが強すぎるために最悪の事態を招く。 

 

 

 

 

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ホラー映画はひとつのジャンルにすぎないし、その下にも種類が多々あるが、現在で誰もが知っているホラーとは「異形の存在が襲ってくる」だろう。異形はモンスターだけとは限らない。心の形が人と違えばそれも異形だ。ドント・ブリーズ 』の盲目の老人やクリーピーの隣人も異形の存在だ。

 

そして、ホラーとは様式(スタイル)が決まれば、多少の傷はあっても面白くみえる。日本にも過去に吸血鬼ゴケミドロ幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形からのシリーズ3作が今でも名が覚えられているのはそうゆうところでもある。しかし、1970年代の日本のホラーの主流は怪談であって、海外のホラーの様式とは馴染めなかった。

 

1990年代に、海外のホラーの様式を日本独自に咀嚼して新たなホラーの様式が誕生した。女優霊で「らしきモノ」が始まりリング呪怨 で様式が完成して人々に認められて、いわゆるJホラーとして確立して定着したのは誰もが知っている通り。

 

しかし、それと引き換えに落語や稲川淳二の怪談話の例外を除いて怪談の様式は映画からは忘れられていった。

 

怪談の様式とは何か?雑にまとめると「幽霊がそこにいる」。それだけだ。怪談にとって生と死は地続きだ。『リング』には無いが、『女優霊』にはある。「らしきモノ」とはそうゆう意味だ。『女優霊』は怪談に近い。

 

さて『来る』はどちらの様式か?ホラーなのか?それとも怪談なのか?そのどちらでも無い。というのが自分の見立てだ。邦画・洋画を引用しつつも中島哲也監督はホラーや怪談を取る気はサラサラ無く、しかし、表面上はそんな風にして本当は育児にまつわる人々のアレヤコレヤを悪意の狂騒(狂想)として仕上げたかった。それだけだ。だから、"あれ"の正体は興味が無いし、恐怖の演出よりも、どうやって盛り上げて落とすかしか考えてはいない。つまり、この映画はホラー(&怪談)ではない。

 

中島哲也監督はイヤミス映画のはじまりである告白 』でいわゆる露悪的なイヤミスを一般に認めた監督だ。だから、今作も自分の領域であるイヤミスならぬ -- 文字通り嫌な人しかいないので -- 露悪的なイヤホラーとして撮っている。怪談の様式を分析して撮ったなら、語り口はそれらしくするはずだし、関係のない人が死ぬはずもない、もちろんホラーの様式も抑えていない。そして締めが「オムライス」なので、観客の感情を逆なでするだけ逆なでにしてストンと拍子抜けさせるしかしていない。だから画として表れているのは、まさしく混沌そのものだ。おそらくはソレを意図として撮っている。

 

だから、それを認めれば面白いが、認めなければ呆気に取られる。

 

1970年代に大ヒットしたホラー(オカルト)映画エクソシストオーメンのヒットにあやかろうと日本でもホラー映画が制作されたことがある。その代表的な2本が大林宣彦監督ハウスであり伊藤俊也監督犬神の悪霊だ。『ハウス』は現在ではホラーコメディの評価ではあるが、公開当時は出来の悪いホラー映画と評価され『犬神の悪霊』はそのハイテンションな出来上がりで現在は怪作として評価されている。

 

様式が定まらずに監督の技量とセンスのみで撮った、この2本を一言で表現するなら「何じゃこれ!?」だ。『来る』もこの感覚に近い。

 

ここで最初の感想に戻る。

 


岡田准一×黒木華×小松菜奈主演!映画「来る」予告

 

 

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