ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
実際に起こったカンニング事件をモチーフに制作された犯罪サスペンス。優秀な成績を収め、その頭脳を見込まれて進学校に特待奨学生として転入を果たした女子高生リンはそこで仲良くなったグレースのためにある方法でテストの答えを教える。それが、グレースの彼氏であるパットに伝わり、ビジネスとなってゆくが……。
機を逃した感はするのだけれど、傑作なので、備忘録として書いておきたい。
カンニングを題材にしているが、学園コメディではなく、タイという国の格差問題が土台にあるので社会派としての側面が大きい。
そして、この映画の素晴らしさは小難しいところが一つもない娯楽として仕立て上げられているところだ。その娯楽の部分は登場人物のキャラ立ちと物語としての構成の巧みもあるが、隠し味としてまぶされているのは「顔」だ。
この映画は顔エンターテインメントだ!
まず主人公のリンと彼女と対になるバンクの顔が前半が野暮ったい。それが後半になると、何かに覚醒したかのように美女・美男になる。もちろん元から美男美女だった俳優に野暮ったいメイクとファッションで整えて、それを本来の姿に戻しているだけなのだが、そのテクニックは通常なら青春か恋愛映画で使われるはずなのに、ここでは犯罪の描写のために使われている。
そんな二人に対して不正ビジネスの仲間であるグレースとパットに顔の変化はない。ある意味この不正なビジネスを楽しんているかの様にもみえて無邪気ですら感じられる。
さらに強調されるのはパットの両親だ。終始ニコニコと笑顔で息子を大学統一入試SITCに合格させるようにグレースに頼みこむシーンはうすら寒い。ここから見えてくるのは恵まれた者たちが、まるで呼吸をするかの様に当然と特権を行使する姿だ。
そういう視点からみると後半のリンとバンクの美しさは、ある種の諦め「諦念」が表れている。そこから生まれる絆は男女の仲のソレとはあきらかに違うモノだ。そしてラストシーンの決別を深いものにしている。何しろバンクの最後の顔はかつてのリンの姿でもあるからだ。
他にも顔の見せ場はたくさんある。クライマックスで美しいリンの顔は苦しく歪むし、校長や試験官達の顔も見所のひとつになっている。そして、そうした演出としてのアクセントを担っているのはリンの父だ。バラエティー番組『トリビアの泉』の司会者だった高橋克実と八嶋智人の顔をまさしく足して2で割った顔(演じているのはタネート・ワラークンヌクロ)だが、彼のおかげでこの顔エンターテインメントが成立しているし、本来ならやりきれなく苦い終わり方になる物語の幕引きに、まるで闇から見える一筋の光の様な存在にもなっている。
だから、その余韻はハッピーではないが、バッドでもない終わりになっている。そして先に社会派と書いたが、実は古典的なモノを換骨奪胎して誕生した新たなノワール映画を目撃したことでもあるのだ。
BAD GENIUS Official International Trailer (2017) | GDH