ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
テレビ俳優として人気のピークも過ぎ、現在は端役を渡り歩くリック・ダルトンと、かつてはリックのスタントダブルで今は付き人のクリス・ブース。業界で生き抜くことに汲々としているリックと、それに泰然自若として従うクリス。対照的だが奇妙な絆で結ばれた二人だったが、それも終わりになりかけた頃に隣に越してきたシャロン・テートとある集団が、リックとクリスの人生に交錯する。
先に感想を言えば「こいつはズルい。ズル過ぎる!」と思いながらも楽しんだ。
だが、今作も含め、タランティーノ作品の魅力を語るのは意外と難しい。一応体裁として物語はあるが、そこにドラマはなく -- あるとしたら原作がある『ジャッキー・ブラウン』くらいかも -- やっているのは「俺はこうゆうことを、こうこうこうゆう風に考えているんだ!」という、俺語りを延々と撮ってきた男だからだ。
そんな男が今回するのは「夢と希望」という黄金期から凋落して『俺たちに明日はない』を代表とする「夢と絶望」を基にしたアメリカン・ニューシネマが台頭し始めたころのハリウッド(主にテレビ)を舞台にした、まさしく「夢物語」という究極の俺語りだからだ。
その要素にプラスしてタランティーノには独自の語り口がある。それを音楽に例えるなら、映画の語り口はそのほとんどがシンフォニーなのだが、たまにそこから逸脱している監督、イーストウッドはブルースだし、ゴダールはビバップ、フェリーニはイタリアの民族音楽、ジャームッシュはレゲエとして感じることができるが、タランティーノはやっぱりヒップポップ(初期のDJプレイ)なのだろう。-- どうして「なのだろう」なのは自分はその方面の知識がほとんどない状態なので、上記に上げた監督と照らし合わせて直感として云っているだけだから。
ヒップポップのDJプレイだけあっていつもタランティーノのサンプリングは巧みだし豊富だ。そして今作はそれが頂点に達している。とにかく膨大で「70年代のエンタメと業界と界隈」、「ヒッピー文化」、「シャロン・テート事件」というベースがなければ、その量に困惑するのはまぬがれない。
なので、今回は隠されたあるサンプルだけを注目して語ってゆきたい。その、あるサンプルとは……
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柳生一族の陰謀……だ!
『柳生一族の陰謀』は1978年に日本で公開された時代劇だ。時代劇ファンにとっては柳生十兵衛のイメージを近衛十四郎から千葉真一へと換えた作品でもある。監督は深作欣二。
物語はざっくり言えば、徳川将軍三代目継承とその争奪戦を候補である徳川家光と忠長を中心にそのとりまきを巻き込んでの抗争劇だ。
そして、この映画のラストシーンは衝撃的だ、抗争の果てに三代目将軍に成ったのは家光なのだが、なんとここで家光は十兵衛に首を切られて死ぬ。史実では将軍宣下の1623年から1650年の27年間、将軍であり続けたのにだ。史実を完全に無視しているのだ。理由は「家光は殺戮の元凶」だから。
タランティーノは深作ファンでもあり、『キル・ビル Vol.1』では千葉真一リスペクトまでした監督だ、コレを観ていないとは言わせない!
「事実がどうであれ、虚構でなら殺戮者は積極的に征伐するべき!」の映画歴史修正主義者クエンティン・タランティーノはこの『柳生一族の陰謀』で誕生した!(断言!)
察しのよいファンなら『イングロリアス・バスターズ』でのアレもやっぱり、そうなのか?と気がついたかも知れない。もちろんロベール・アンリコ監督『追想』からのサンプリングは否定しないが、自分的にはあのシーンで鳴り響きましたよ、アノ津島利章メロディが!
大体、この作品。タランティーノの俺夢物語だし、それに対する『柳生一族』のラストも萬屋錦之介演じる柳生但馬の「夢だ、夢だ、夢だ夢だ夢だ〜、夢でござ〜る!」 の台詞で終わるんだからね!
オヤジギャグ的な締めで終了!!
追記:最近のタランティーノ作品は上記の『イングロリアス・』以降、かつてキレの良さが減じているが、もしかしたらコレはタランティーノが変わったというよりも、デビューから編集を担当していたサリー・メンケの死去で、そうなっているのかも知れない。つまり、あのキレはメンケが生み出したモノであって、今作のような緩い語りこそが本来のタランティーノなのかも知れない……。
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