ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
逃げろ!守れ!とりもどせ!
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして今回のキーワードは。
アクションとは身体性!
皆の者、カン・ドンウォンを讃えよ!
つまり本作はカン・ドンウォンのアクション魅力が炸裂するスター映画である!
これが自分の結論だ。まぁ、そこは『群盗』(2014)で知っていたけど。
だから本作の見所はたった三つ……
凛々しいカン・ドンウォン
やさぐれたカン・ドンウォン
カッコいいカン・ドンウォン
(画像はIMDb)
これだけだ!
つまり、カン・ドンウォンをひたすら愛でろ!
これが本作に対する正しい鑑賞方法だ!
だから、スポーツ・エンターテイメントSASUKEに出てくる障害物程度の存在になりさがり記号と化したゾンビに対する不満とか、嗚呼、結局監督は『エイリアン2』や『マッドマックス2』や『ニューヨーク1997』をやりたかったんだね。な嘆息が聞こえてそうな批判などはどうでもいい!
あと、前作に比べて大味になった。という呟きもナッシングだ。80年代アクションで生湯を使った自分から言わせれば本作はまだ味が濃い。
ーー それに「家族」のドラマなのは前作から同じだ。同じヨン・サンホ監督のアニメ『ソウル・ステーション パンデミック』(2016)からも引き継がれている。クライマックスでカン・ドンウォンがアレをする事で、心がバラバラになっている者たちが本当の家族になるドラマからだ。ヒント:キム・ドユン(俳優)の最後とジュニの最後のセリフ。
大体、本作をそうゆうスタンスで批判するという事は、みんな大好きシュワルツェネッガーの『コマンドー』(1985)を批判している事と同じだぞ!(画像はIMDb)
それは『コマンドー』が今でも映画ファンに愛されている理由はシュワルツェネッガーの筋肉にあるからだ。あの筋肉こそが、あのぶっ飛んだ異様な物語のリアリティを支えているからに他ならないからだ。
同じく前述した、『ニューヨーク1997』は主演のカート・ラッセルの身体性で成り立っているし、ジョン・ウィックシリーズだってキアヌ・リーヴスの身体性によって支えられていると言ってもよい。
ここで言う身体性とは、アクション映画の身体性だ。具体的にはアクションをする際の体の持って行き方や手・腕の動き、目線の持って行き方、などが違和感無くしっくりとしているかだ。
つまり所作が決まっているかどうかだ!
そして、本作のカン・ドンウォンもそうだ!見事だ!!
大体、前作だって半分はマ・ドンソクの身体性でもっていたじゃないか!(断定!)
あまり語られ無いので、演技についてはズブの素人の自分があえて物申せば、評論家は役へのなりきりだけに注目して、所作がシッカリしている俳優の存在と演技を蔑ろにしがち過ぎ。
所作だけでいえばジャパニーズコスチュームアクター萬屋(中村)錦之介はロバート・デ・ニーロやクリスチャン・ベールを遥かに超えているぞ!(どさくさ)
だからお前はダメなんだ、約〇のネ〇ーラ〇ド!(とばっちり)
あと、CG、CGとかで不満がある人はいっそCGの家の子になりなさい!(意味不明)
どんなに金をかけてもCGがリアルでも演じている俳優の演技がダメならば、映画のリアリティが簡単にご破算になるのは常識だろう?そーゆうとこだ!
ただ、カン・ドンウォンのアクションへの所作が、あまりにも見事で突き抜けているため他の配役がイマイチ印象が薄いのも確か。
あ、でもイ・レ(ジュニ役)はグッド!ドライバーの所作はバッチリだったよ!!
そこは、もう少し何とかできなかったのかな?かな?
劇場で鑑賞。
TRAIN TO BUSAN PRESENTS: PENINSULA (2020) Official Teaser