えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

バクラウ 地図から消された村

お題「ゆっくり見たい映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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www.imdb.com

 

今日のポエム

未開舐めんな!

 

 

映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!

  

そして、キーワードは。

 

〇〇ド映画の極致!

 

今回は超ネタバレスレスレの解説モード。

 

注意:今回はできる限り核心部分を避けますが、純粋に楽しみたい方には読まないことをお勧めします。

 

楽しー!面白いではなくて、超楽しー!!

 

物語はブラジルのある村が舞台だ。山岳に存在しているのにも関わらず水道水が止められて給水車で水を運ぶことで日々の暮らしをしていたバクラウという村。そこの長老が死去したことで帰って来た娘と何者か分からない余所者たちが入って来たことで起こる、ある陰謀と村本来の姿が暴き出される流れだ。

 

本作を簡単に云ってしまえば、反乱モノであり、「舐めてた相手が実は殺人マシーンでした」系作品だ。だが、例えばそれで思い出す類似作品は日本軍VS首狩り族との戦いを描いた『セデック・バレ』(2011)なのだが、本作はその様なカテゴリに簡単には収まらない異様さを醸し出している。それがカンヌ国際映画祭審査委員賞を受賞した所以だろう。

 

まず、出だしからして妙だ。長老の死からはじまるが、それから不穏な余所者が暗躍するようになるが、どうしてそのタイミングで起きるのかといえば、どうやら長老が呪術で村を守っているからだ。何故ならある人物が葬式のシーンが「魔女だ!(超要約)」と騒いだ翌日に「あの時はどうかしていた(超要約)」とペコリm(__)mとしたりで、一見意味不明な繋がりをそれなりに解釈すると、「長老はどうやら呪術で村を守っていた」らしいのが分ってくるからだ。それにベルイマンの『処女の泉』(1960) 張りに長老の棺桶から水が溢れ出しているし、もう間違いない。

 

サスペンスやスリラーで呪術が出るのを見たのは『アシャンティ』(1978)以来だな。

 

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釘を刺しておくと『アシャンティ』はオカルトとかスピリチュアルのサスペンスとかスリラーでなない、ちゃん普通のサスペンスとスリラー。なのに何故かいきなり呪術が出てくるんだから。

 

そして、バクラウに突如にして現れた余所者たちは一人を除いては不穏というよりも間が抜けているところがある。それで人を殺した後でセックスをするというドイヒーな奴らだが、そんな奴らどう見てもプロというよりもド素人で、襲い方も二人で一組というスポーツハンティングのスタイルなので、どうやらバクラウ村の住人を富裕層が遊びで狩りにきているらしい。つまりは、マンハンティング・人狩りだ。さしずめまともな奴はドイヒーな奴らのインストラクターなのだろう。でも、バレそうになると口封じにバーンバーンやってるけど。

 

懐かしいわ『グレートハンティング’84』(1983) 宣伝しか知らないけどな!

 

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確かに歴史上はオーストラリアの原住民に対するハンティングや、90年頃に白人がインディオにそれを行っていると知ってはいたが、現在でもやっているのかよ!って。

 

さて、(と、強引に切り替える) それに対抗するバクラウ村の皆様方も負けていない、リーダーは元義賊 (19世紀末、ブラジル北東部で活躍した盗賊で、その中で農村部ではなく、大土地所有者のみを襲ったものも存在する)だったガンガセイロだ。

 

さらに、前述したとおりバクラウ村の皆様方も混血化が進んでいるとはいえ、どうやら『セデック・バレ』の部族と同じ風習を持っていたらしい所が分かって、さぁ大変!な。ヒント:お年寄り&博物館。

 

終いには、ラスボスを見動きが出来ないようにして馬でトボトボとさせるあたりは、やっぱり、罪人が死んだら神が処刑の神判を下した事になる(逆もある)神明裁判をどうしたって連想する。ましてアイツの生き埋めなんぞマンママンマ。反近代的なのだ。

 

富裕層の傲慢さを未開の風習がコテンパンにやっつける形になっているのだ。

 

その、未開の風習をゲテモノ感覚で眺めている様は、まるでモンド映画を観ている感覚と同じ。モンド映画とはドキュメンター風 (偽) に猟奇的なシーンの連続で観客の物見遊山な気持ちを満足させる作品群で、具体的には前述した『グレート・ハンティング』(1975) とか『食人族』(1983)とか、映画監督ヤコペッティの作品とかを指す。そのものズバリではないが、最近なら『グリーン・インフェルノ』(2013) が、モンド映画に近いし、本作も感触がソレに近い。でも襲われる側ではなくて、襲う側の視点で主に描かれているのでそう感じられないが、そうだ。そうなのだ!

 

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(C)2019 CINEMASCOPIO - SBS PRODUCTIONS - ARTE FRANCE CINEMA

つまりは本作はインテリやアカデミズムが真っ先に切り捨ててきたジャンルと現在の社会問題 -- おそらく背景には舞台となったブラジルの貧困・格差社会という現実がある -- との悪魔合体というべき作品なのだ。

 

そして、どんなモノでも極めればカンヌで賞が取れる希望を示した作品でもある。モンスターもスぺオペもいつかきっと……。

 

劇場で観ていたら年間ベストに入れていたかも。

 

ちなみに、あのUFOは何の意味があるのかが、全然見当もつかなかったのでIMDbトリビアを開いてみたら。どうやらジョン・カーペンター遊星からの物体X』(1982) のリスペクトで本作では各所にカーペンターへの言及があるそうだ。

 

……って、分るか!

 

DVDで鑑賞。

 


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