ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
それは、モンマルトルの物語
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして今回のキーワードは。
伝説の映画!
フランス映画の名匠であり、ノアール映画を語る上で決して外してはいけないジャン=ポール・メルヴィルの作品を本作を込みでたった5作しか観ていない自分が、あえて面の皮を厚くして答えるならば、同監督の作品群は「通好み」というのが自分の認識だ。
「通好み」とは、その作品から滲み出る感覚がテーマやメッセージではなくて、その作り手にしか存在しないモチーフに拘り、それだけを描いてきた。という意味での「通好み」だ。
そして、そんな作品を世に送り出していたメルヴィルとは、批評的評価の大きさとはまた別に後世の映画作家等に多大な影響を与えている。という認識をしている。
例えば、クリント・イーストウッド。イーストウッドの作品に出演する俳優はほとんど表情を変えないで演技をする。明らかにメルヴィルの影響を受けているし、そうでなくとも彼の作品を観ていることは明らかだ。
そして、一番に影響を受けているのは、映画(物語でもいいが)とはテーマやメッセージではなくて各記号の繋がりであり、その集合体の総和である。という考えだ。だから、必ずしもリアルは必要ない。つまり映画が成立すれば単なる記号でも良い。
例えば、イーストウッドの『アメリカン・スナイパー』(2014)では「赤ちゃんが人形だった」シーンだ。現実は本物の赤ちゃんが急な病気で人形に変えたのだが、本来ならリアルを求めての予算超えでの撮り直しをしても良いはずなのだが、そうはせずにあのシーンを撮ったイーストウッドの脳裏にはメルヴィルの『リスボン特急』(1972)があったはず。どう見ても、あの模型の列車が浮かんだはずなのだ。だから、あのシーンを撮る事ができた。と自分は考えている。(画像はIMDb)
そんなメルヴィルの特徴を自分が超雑に紹介すれば、それは余計な部分を出来る限り削ってストイックに魅せる。ところだ。それはまるで牛乳から脂肪を削ってカルシウムだけの無脂肪牛乳にするようにだ。
そのメルヴィルの作品歴4作目にあたる本作は名作というよりも「伝説」といっても良いくらいの作品だ。本作を称賛しているのはスタンリー・キューブリック、ジム・ジャームッシュ、クエンティン・タランティーノ、ポール・トーマス・アンダーソンだし、何よりフランスヌーベルバーグに影響を与えて、ジャン=リック・ゴダールが『勝手にしやがれ』(1959)にメルヴィルを出演させたくらいなのだから。まさに「通好み」の極致というしかないではないか。
そしてジャンルでいえば強奪(ケイパー)モノである、本作をはじめて観た感想を自分が正直にいえば……
…………
…………………
……………………… 落語じゃん!
そう、本作はメルヴィルが撮った喜劇だ。彼自身も「(本作は)風俗喜劇」だといっている。パリのモンマルトルを舞台にそこに住む人々の心情の機微を主に描く。それを日本の言葉に直せば、それは江戸の人々の心情の機微を描いている。という意味で落語になる。だから本作は落語だ。
しかし、見事な見立て落ちだ!
落語の、見立て落ち。とは「意表を突く落ち」のことであり、具体的な噺だと『まんじゅうこわい』がそれになる。あるいは、「少し考えて可笑しみが分かる」という意味で、考え落ち。かのどちらかだ。
どちらにせよ、野暮ったくはなく粋である事には間違いない。つまり本作も何かを削ぎ落とした感覚があるという意味での粋でだ。
だから今回は物語は語らない。それを語っても観る気は起きないだろうないだろうし、本作の見所はその語り口にあるのだから。実際に観なければそれは分からない。と言っても良い。
しかし、個人としては前述したギリギリに削ぎ込まれたストイックさがメルヴィル作品の魅力であり特徴でもあると思い込んでいたので、ちょっと面食らったのも確か。
どうやら、はじめは正攻法の強奪モノを考えていたらしいが、ジョン・ヒューストンの『アスファルト・ジャングル』(1950)の存在で「こいつには勝てねー(超意訳)」と感じて、あの展開にしたらしい。(画像はIMDb)
ちなみに、この『アスファルト・ジャングル』魅力については、それを語り切った映画ブログ、ふかづめさんのシネマ一刀両断をお読みください。
でも、この画なら正攻法でも結構いい線をいっていた気もするが。(画像はIMDb)
メルヴィル自身が美術監督をしたというセットや撮影監督アンリ・ドカエの画づくりもバッチリ決まっているので、-- 事実、ドカエはこの作品後ヌーベルヴァーグを支える事になる -- それに並ぶとはいわないまでも、そんなに見劣りをしているとは思えない。やはり、二番煎じを恐れての事かもしれないし、またメルヴィルとって『アスファルト・ジャングル』とは彼自身の原点、いわゆるソウル・ムービー、今風な言い回しをすれば「神映画」の位置にあるのだろう。
そうゆう視点から見れば本作はメルヴィルのスタイル完成前夜の作品と言えるのかもしれない。と、知った風な言葉で終わります。
参考:
ルイ ノゲイラ 著, 井上 真希 訳 「サムライ ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生」
VODで鑑賞。
Bob Le Flambeur (1956) Trailer