ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
過去の体験からトラウマを抱える森林消防隊員ハンナ(アンジェリーナ・ジョリー)は、ある日異様な様子の少年コナー(フィン・リトル)と出会う。彼は父親が殺害される現場に遭遇したため暗殺者たちから追われており、父が命懸けで守り抜いた秘密を知る唯一の生存者だった。ハンナは彼を守ることを決意するも、コナーの命を狙う暗殺者たちの追跡に加えて、大規模な山火事が発生し二人は逃げ場を失う。
シネマトゥデイより引用
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
今日のポエム
ロックの味わい
今回はネタバレスレスレの誉めモード。
うん面白かった!
でも物足りない。という評価も分かる。最近だと、DCの『ザ・スーサイド・スクワッド』とかマーベルの『シェン・チー』とかフォックスの『フリー・ガイ』などに比べるとそうなるし、本作を撮ったテイラー・シェリダン監督の前作『ウインド・リバー』(2017) と比べても、やはり物足りないだろう。
しかし、自分はそれらとは逆の感想をもっている。足し過ぎ。
そう本作は足し過ぎて、逆に物足りなさを感じる出来上がりになっている。
決して逆張りなどではなく、自分かイメージしている本作の捉え方が、酒の飲み方で例えるとオンザロックだとみているからだ。それに対して先に上げた作品などはカクテル。
カクテルなので、酒をベースに果汁とか薬味とか加えて味わいを華やかにするのに対して、オンザロックは酒と氷だけ、そして溶ける氷に味わいもまた変わるのが趣向となっている飲み方でもある。
だから、単純に主人公が悪人から子供を守るドラマと解釈してはいけないということだ。
回りくどい。と感じているかもしれないが、ここで云う氷とは主人公ハンナとコナー、夫婦のイーサンとアリソン、殺し屋であり兄弟のジャックとパトリックのことであり、酒とは、そう炎だ。
つまりは、追う追われるのサスペンスが縦軸のドラマとは別に、三組のバディという氷が山火事という極限状態でどう行動するかを横軸として設計されてドラマになっている。
だから、本作は森林火災で起る「炎」を危険&危機のスリルとしての記号ではない様々な顔を見るのが見所にもなっている。これはシェリダンの前作『ウインド・リバー』で「寒さ」をサスペンスの記号としての一様ではなく、様々な顔で魅せたのと同じ。
そして先に登場人物がバディの構成になっていると書いたが、その中でハンナとコナーは夫婦と兄弟との結び方は違うかたちをしているといってもよい。ふたりを結びつけたのは大地の神となっているから。
その証明として逃避行中でコナーは、その象徴である野性馬になんの抵抗もなく触れたからだ。神に祝福されているのだ。だからクライマックスはああなるのだ。
原作 -- マイケル・コリータの小説『Those Who Wish Me Dead』 -- を読んでいないので個人としての想像だが、最初はシンプルに追う追われるのアクションスリラーとして書かれていたが、ドラマとしての物足りなさと、尺 (上映時間) の少なさを改善するために -- マイケル・コリータ&チャールズ・リーヴィットとの共同 -- シェリダンを呼ん収めようとしたら最終的に監督もすることになって、ドラマそのものが変化したと考えるしかない。
でまぁ、前述した入れ過ぎの部分について語れば、冒頭のシーンは入れるべきではなかった。
バランスが悪いのだ。自分ならパラシュートのシーンからはじめて鉄塔で回想をフラッシュバックでやる。
そのせいで白馬に乗った者が悪目立ちしすぎている。
もっとも、これは『ウィンド・リバー』から見られた傾向でもある。ミステリー仕立ての冒頭のシーンの事だ。そうしないと観客は興味を持ってくれないという計算がそこはかとなく漏れていたが本作はそれが顕著に表れただけだ。映像で語るよりも脚本の段取り感を匂わせる。
そうゆう意味ではテイラー・シェリダンはまだ映画監督ではなく脚本家なのだろう。
でも、本作は今年ベスト候補であることは確か。
足してバランスをとるよりも抜いてバランスをとるのが一番大変なんだから。
劇場で鑑賞。