ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今回はネタバレ回避の懐かし解説モード。
原作、特に人気マンガの映画化についての悩ましい問題。それは、原作の雰囲気、特にキャラクターのイメージがどのくらい似ているかで作品そのもの評価につながるトコロがある。
早い話が外側だけ整えたファッションだ。
とはいえ、それは興行収入・ビジネスからの視点であって、その作品の本質、要約すればドラマそのものになるとは限らない。
なんで、こんな回りくどい言い回しをしているのかといえば、コノ作品は原作のイメージをできる限り守って映画にしたのにアナイな出来上がりになってしまったからだ。
だから、ネットで話題に上る『幻の湖』のようなトンでもは無い、無いが、観終わった後に「なんだかな~」な気分になるのもまた確か。
そんな作品。
さて、原作はコミックカルチャーどころか昭和史を代表する人物であるマンガ家・アニメーション作家の手塚治虫。
その頃の手塚は少年誌で『ブラックジャック』や『三つ目がとおる』のヒット飛ばしていた傍らで、設定は不死鳥のみで時代もキャラクターも違うSF連作集『火の鳥』も通好みに人気があった。コノ映画はその『黎明編』にあたる。
ひとつ注釈入れておくと1970年代までは、後のマンガ・アニメ・特撮に傾注するオタクという存在はなく 、それを顕在化・視覚化できるようになったのは一般家庭にビデオテープレコーダーが普及してきた80年代前半からなので、当時の様相としては少年少女が読むマンガとは別に青年と大人がサブカルチャーの嗜みのひとつとしてロックを聴くようにマンガを読む風潮があって手塚の『火の鳥』もその状況で読まれていたところがあった。だから通好み。
そして、もうひとつ注釈をつけ加えるなら、1970年代当時は現在のMCUやDCとは違ってマンガの実写化とは子供と青年を興行の中心においていた。のでソノ手のたぐいは批評家&コアなファンからは格下に見られている風潮が存在した。だから撮る監督も一流ではなく邦画全盛期のプログラムピクチャーか新進が撮っている場合が多かった。
そんな通好みのファンがいる作品を撮った監督はあの市川崑。
代表作に『炎上』(1958)や『おとうと』(1960)そしてドキュメンタリーの幅を大きくひろげた『東京オリンピック』(1965)がある監督。ファンの間では名匠と認められてはいるが個人的には鬼才タイプの人だと考えている。
当時、市川は『犬神家の一族』からはじまった横溝正史ブームまたは金田一耕助ブームを起こしていて大衆に対して黒澤明なみに名が知られていて、そんな彼が撮るというのはビジネスとしてのインパクトは大きかった。
脚本は谷川俊太郎。
谷川は詩人であり絵本作家であり翻訳者であるという日本文芸家として輝かしいキャリアを残している人物であり、そして手塚のアニメ『鉄腕アトム』主題歌の作詞もして、また市川の『東京オリンピック』や『股旅』(1974)には脚本の一人として名を連ねている。
つまり、マンガ家手塚と映画監督市川との橋渡しとしては最適な人物になる。
音楽、というよりも本作を貫くメインテーマ曲を書いたのは『シェルブールの雨傘』(1963)や『華麗なる賭け』(1968)のミシェル・ルグラン。
若い人からみれば「誰よそいつ⁉」だろうが、50代以上なら馴染のある人物で、そんな当時からみれば日本人ではなく海外の著名な作曲家が邦画のスコアを書くということは話題性としては充分にあった。
— 余談だが、ルグランはコノ後に実写版『ベルサイユのバラ』のスコアもやっています。
俳優陣も豪華だ。若山富三郎、江守徹、高峰三枝子、草刈正雄、由美かおる、仲代達矢 等々のオールスター。そして当時は子役の尾美としのりが彼等と引けを取らない演技をしている。
そんな事を長々と書いたのは、コノ作品が当初から子供や青年だけでなく大人もターゲットに入れた大作で低予算のプログラムピクチャーではなかったことだ。背景には当然の如く当時のSF映画ブームがある。何しろコノ作品が公開された1978年とは6月に『スター・ウォーズ(エピソード4新たなる希望)』が公開の次に8月にコレなのだから。
でもね……
それが蓋を開けると「なんだかな~」になったのよ。
観た人なら納得がゆくだろうが、映画は原作にほぼ忠実になっている。壮大な手塚のイメージを谷川は詩人の直感として捉えてそれを上手く収めて脚本にしている。
だから問題は、問題は演出・監督に市川にある。
個人として上げたいポイントは、市川はあくまでも鬼才であってメイン・本流ではないという事。
鬼才というのは、文字どおり「常人とは違う才能を持っている」者。邦画ファンなら賛同するだろうが、市川作品群には通常とは違う「尖った」モノが散見する。カラー作品が大半の邦画の中でモノクロの雰囲気を出そうとした『おとうと』や記録を撮るべきなのにドラマにしてしまった『東京オリンピック』など。もちろん金田一シリーズのタイトルとかもそこに入る。
なので、ココにも市川らしい尖った表現をしている。
手塚マンガの雰囲気を実写で再現しようとした。
例えばリアルではありえないマンガ的な団子鼻を忠実に再現して俳優につけたり、実写にアニメーションを絡めたり、キスされてビョーンとぶっ飛んだりするカットを入れたりして手塚マンガの記号をできうるかぎり映像として出してきている。
きているが、それが映画としてはシックリしていない、馴染んでいないのよ。
そこから「なんだかな~」につながる。
どうしてそうなったのかといえば、超簡単に結論を出すと、市川のイメージを実写として具現化できる撮影態勢が当時の日本映画には無かったと見るしかない。
実はマンガ・コミックの雰囲気を実写に置き換えるという市川の構想そのものは間違ってはいなかった。現に同じ年にアメリカではあの『スーパーマン』が公開されたし、その後にティム・バートン監督の『バットマン』(1989)でも証明されている。
しかし、それは国内だけではなく世界もマーケットに入るがゆえに予算と具現化できるスタッフが大量投入できるハリウッドだからこそできるのであって、マーケットが国内優先のコノ作品では難しい。
ぶっちゃけ、カツカツでキツキツでこれをやるというのが無理筋。
実際に、市川もコノ作品を振り返り「予算とスケジュールが足りなかった」とコメントをしているのだから。
日本映画にコノ手の作品が馴染んでゆくのは、映像のデジタル化とオタクと呼ばれる世代が作り手として参加できるようになってからになる。
つまり、これは、イメージがあってもそれを描くツールが無かったら「なんだかな~」になるよねって話。
余談だが、コノ作品では、高天原族を率いるジンギという男が騎馬軍団で各国を侵略してゆく描写があるが、これはマンガ公開当時に古代史のムーブメントだった東洋史学者の江上波夫(えがみ なみお)が提唱した「日本王朝のルーツは大陸からきた民族」の騎馬民族征服王朝説から着想を得ているのは、当時を知っている者ならスグに分かる。ムーブメントだったので現在は廃れているけど。
VODで鑑賞
監督:市川崑
原作・作画総指揮:手塚治虫
製作:市川喜一 村井邦彦
脚本:谷川俊太郎
作画演出:鈴木伸一
特技監督:中野昭慶
撮影:長谷川清
美術:阿久根巖
装飾:田代昭男 浜村幸一 藤井悦男
音楽:深町純
テーマ音楽:ミッシェル・ルグラン
録音:矢野口文雄 大橋鉄矢
照明:佐藤幸次郎
編集:長田千鶴子 池田美千子
映画.comより