題名と名称は恣意的に表記します。[敬称略]
ネタバレなしの解説モード。
今回は隠れた、というよりも忘れ去られた作品について語りたい。
ちょっと前、といってもすでに20年前だが、「タイタニック級の感動」という触れ込みが流行ったが、これはまさにソウ。
というよりも、タイタニックこそが「ある愛の詩級感動!」と呼ばれるべき存在。
それが、コノ作品。
そんな感動作なのだが、ラブロマンスというのはソレに熱狂した世代があってこその人気であって、ネットの世界だとそれがズレているために今や忘れ去られた形になっている。
とはいえ、現在の日本コンテンツ産業ではターニングポイントな作品で、公開当時は映画とは無関係な出版社角川書店の編集局長だった角川春樹がメディアミクッス展開して原作本を売れ込みそれが大成功。つまりコノ作品がなければ後の角川映画は無かったかもしれないし、邦画の歴史も変わっていたかもしれないし、現在の日本メディアコンテンツ産業の情勢も変わっていたかもしれないくらいに重要な作品となっている。
そんなコノ作品、知ってはいるが観たことはない人々の間では、純愛&難病モノとしての認識だろうが、実は難病のシークエンスは以外にも短い。その展開を掻い摘んでみると……
起:富裕層出の主人公と庶民出の女主人公が出会って恋に落ちる。
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承:主人公と女主人公は身分の差があって主人公の家族は難色を示したので、主人公は親との縁を切り女主人公と独断で結婚する。
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転:主人公はロー・スクールに通うが支援を打ち切られたために生活は苦しい。だが女主人公と一緒に何とかやってゆき、慎ましいながらも幸せな日々を送る。
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結:ロー・スクールを卒業して、高名な弁護士事務所に入ることができた主人公。これから生活が上向きになって女主人公と素晴らしい日々になると思いきや、彼女の難病が発覚して余命があまりないことを二人は知る。女主人公の命を少しでも延ばすために縁を切った父に医療費を融通してもらうなどをしたが、その甲斐もなく女主人公は亡くなる。
こんな流れで、だから難病のターンはごく僅か。過剰に泣きを期待すると肩透かしを食らう羽目なるだろう。
それなら、どうしてコノ作品が当時世界中の若者達に大感動作として受け入れられたのかといえば、50年代前半までは、物質が豊かになる→幸福 の公式が成り立っていた世代に対して、その子供世代が青年期に入る50年後半になると、その価値観が変わって、精神が豊かになる→幸福 になってゆく。それが顕著に現れたのはヒッピー文化。そんな時代のトレンドの変化が根底にある。
つまり、コノ作品で描かれた純愛とは、前の世代に対する当時の若者達の静かな反抗心の現れなのだ。それが広く受け入れられた。
だからこその、……とは決して後悔しないこと。
なのだ。物質的豊かさに対する別の価値観が示されている。それが世界中の若者に支持された根本的な理由だ。当時の波に上手く乗ることができた映画なのだ。
コノ作品も、カウンター・カルチャーのひとつなのだ。
-- でもまぁ、その前に日本では純愛&難病モノの走りである『愛と死を見つめて』(1964)が大ヒットしているのでそのノリで受け入れられたところはあるけどね。
しかしながら、原作・脚本エリック・シーガルも監督アーサー・ヒラーもそんな意図もなく、英語版Wikipediaによるとシーガルは当初ラブストーリーはメインではなく、学生等のリアルなライフワークを描くために物語を動かすエンジンとして純愛を使ったらしい。
それを受けてヒラーもまた、そんな二人の純真さを強調する演出をしている
ここで個人的な本音を漏らせば、はじめて鑑賞したときには「綺麗事だなー」だった。
が、その綺麗事が当時の若者等にとっては理想的な眩しさを感じたのは理解した。
ちなみに、作品公開当時はかつて盛んだった学生運動が終局に向かう時期になる。
DVDで鑑賞。
監督:アーサー・ヒラー
製作:ハワード・G・ミンスキー
製作総指揮:デビッド・ゴールデン
脚本:エリック・シーガル
撮影:ディック・クラティーナ
編集:ロバート・C・ジョーンズ
音楽:フランシス・レイ
映画.comより引用