えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

映画閑話『フィールド・オブ・ドリームス』

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

ポスター画像

 

先頃お亡くなりになられた米俳優ジェームズ・アール・ジョーンズの報を聞いてひさしぶりに観直した。

 

そして、しみじみとした。

 

最初に観た時は「良く出来ているけど、何か綺麗事に感じた」ものだが。

 

介護に疲れているから感動するのですか?そうならば、コノ作品は何もかもに疲れた心を癒すモノがあるのでは?

 

ハイ!感想をまとった愚痴終了。

 

内容は、若い頃はヒッピーだった主人公、その頃知り合った女性と結婚して現在は妻と娘と田舎町で農業を営んでいたら、ある日トウモロコシ畑で「それを作れば彼がやっている来る」という謎の囁きを聞く、相談した妻にも勧められて畑を潰して野球場を作り周りのみんなを呆れさせるが、ある晩に突然、かつて野球賭博で球界を追われた投手が現れて、あの声が真実だったのを確信すると、例の声は主人公に次々と囁き、それに導かれるかの様に引退した作家に会い、一回しかメジャーに出ることができなかった選手に会って、次々と行動してゆく……といった流れ。

 

とにかく作中球界を追われた人物がワラワラと現れるが、ここで整理しておくと、

 

〇「一回しかメジャーに」の、アーチー・グラハムは1905年にニューヨーク・ジャイアンツの選手として登録され、はじめてメジャーリーグの試合に出場したのは同年の6月29日、対ブルックリン・スパーバス戦で打席に立たないままその試合を終え、彼のメジャーでの出場試合はこの1試合のみで、その経歴を「打席なし」のまま終えることになる。

 

〇「野球賭博」のショーレス・ジョーとシカゴ・ホワイト・ソックスは1919年のワールドシリーズで優勢を予想されていたシカゴ・ホワイトソックスが敗退、前から噂されていた賭博がらみの八百長疑惑が地方新聞の記事がきっかけとなって事件が発覚。最終的にジョーを含むホワイトソックスの主力8選手が賄賂を受け取ってわざと試合に負けた容疑で刑事告訴され(後に無罪)、メジャーリーグから永久追放の処分を受けてしまう。

 

つまり、二つはメジャーリーグという大舞台の記憶から忘れさられた者たち。

 

フィールド・オブ・ドリームスのレイ・リオッタ(1989)フィールド・オブ・ドリームス(1989)

フィールド・オブ・ドリームスのバート・ランカスター(1989年)

 

とにかく、世間では感動作として認識されているコノ作品、「父と子との和解」を描いているというのが一般的な解釈で、そのきっかけが『エイトメン・アウト』(1988)でも描かれていたショーレス・ジョーとシカゴ・ホワイト・ソックスなのはマァ分かるし、バート・ランカスター演じるこれまた実在したアーチー・“ムーライト”・グラハムもラストシーンで作劇上必要なのもマァ分かる。

 

フィールド・オブ・ドリームス(1989)のジェームズ・アール・ジョーンズ

 

でも、ジョーンズ演じる元作家テレンス・マンだけが、よく分からない。

 

事実、コノ作品が「父と子の和解」を描いているのなら元作家の件は必要は無い。

 

無いのだ。(強調)

 

それでは、コノ作品内での彼の役割は何なのか?

 

実は、というよりも誰もが知っている事だが、テレンス・マンとういう架空の人物のモデルが小説『ライ麦畑でつかまえて』の著者J・D・サリンジャー

 

だから、ヒントは『ライ麦…』にある。Wikipediaから引用すると……

 

「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」

 

マンはメジャーリーグというゲームから転がり落ちた選手を捕まえる役どころなのだ。

 

彼の退場するシーンはそうゆうことだ。

 

コノ作品では、マンという人物はサリンジャーのモデルとされているだけあって宗教保守から非難される革新的作品を出しているが、実は野球好きという設定になっていて、そこで主人公と一緒に野球観戦をするシーンの際、「野球はこの国の伝統」みたいな台詞をする。

 

ここから導き出されるのは。アメリカンベースボール賛歌でしかない。

 

衒いもなく「野球って素晴らしい!」と語っているのだ。

 

野球さえあれば、すべてが解決する。例えそれが価値観が違い過ぎる民族や親子の断絶でも。

 

それが、コノ作品。

 

そうゆう視点から見れば、これは主人公等の設定とは裏腹に保守的な作品で、保守の役割、「保守とはそうゆうものなのだ」と謳っている。

 

だって、伝統=保守でもあるから。

 

保守賛歌の作品でもあるのだ。

 

 

‐‐ でも正直、自分はサリンジャーと言えば『ライ麦…』くらいしか読んでいないし、内容もほぼ覚えていないのだが、今回も面の皮を厚くして語ってみました。💦

 

BDで鑑賞。

 

監督:フィル・アルデン・ロビンソン
製作:ローレンス・ゴードン チャールズ・ゴードン
製作総指揮:ブライアン・フランキッシュ
原作:W・P・キンセラ
脚本:フィル・アルデン・ロビンソン
撮影ジョン・リンドレー
美術:デニス・ガスナー
音楽:ジェームズ・ホーナー
1990年製作/107分/G/アメリ
映画.comより(画像はIMDB)

 

 

 

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画備忘録へ
にほんブログ村

映画(全般) ブログランキングへ